2003年4月~5月の「編集人の20〆行動日誌」
□4月21日、朝から商業界会館の改装工事に関する会議、役員会。今秋までに、わが商業界の入っているビル「商業界会館」はかなり大掛かりな内外装の工事をします。手始めにトイレがウォシュレットになったりで、社員は喜んだり、騒いだりしています。22日、23日は赤坂の山王病院で人間ドック。この病院、渥美俊一先生のあのペガサスビルと道路を挟んだ向かい側にあって、ドックに入っていても、私、気が休まりません。というのは冗談で、今年から、自宅近隣の大口東総合病院から、この山王病院に変えました。コンビニエンスニーズからスペシャルティニーズに変わったといったらよいのでしょうか。
□23日は夕方の便で佐賀へ。翌日は、商業界主催「モラージュ佐賀視察セミナー」。ウォルマート西友の、この習作店舗を私はポジティブに捉え、評価しました。加藤勝正さん、米澤房朝さん、山本学さんをはじめとした参加者の皆さん、ありがとうございました。24日は、福岡便で帰京し、25日は朝から小社部長会・編集長会議・新製品開発会議。夜は、東京駅・新丸ビルで宗像守さんと会食。樋口産業社長の樋口俊一さんを応援するための熱い握手。28日、磯見精祐さん来社。いつもの示唆に富んだ会話。29日(みどりの日)、小社新入社員採用試験。
□月が変わって、新緑の5月。1日、メーデーの日、小社臨時部長会。2日、小社第3四半期業績報告会。山本恭広『食品商業』新編集長の発表と決意表明はとても良かった□6日、欠席者のためのコンパクト版業績報告会。商業界とはこんなふうな会社なのです。夜は第2次面接試験。7日、新人パート&アルバイトトレーニングセミナーで巻頭挨拶。午後、『食品商業』拡大媒体会議。夕方、東京プリンスホテルでヤマナカ社長の中野義久さんと久しぶりの面談。8日、出版合同会議。午後、『飲食店経営』拡大媒体会議
□9日、15時から日本スーパーマーケット協会の第5回総会後のパネルディスカッション。パネラーは同協会会長のライフコーポレーション清水信次会長兼社長、協会副会長の平富郎エコス会長、大桑育嗣オオクワ会長、川野幸夫ヤオコー社長、横山清ラルズ社長。コーディネーターは私。タイトルは「価格か?品質か?それともミールソリューションか?」。一言で言えば、「すべてだ!」としか答えようのないテーマに、きちんと答えていただいて、本当にありがとうございました。毎年このパネルディスカッションの狂言回しのような役割(猛獣使いとも言われています)を演じさせていただいていて、私、幸せです。その後のパーティも大盛況。菱食会長の廣田正さんの乾杯の挨拶は良かったし、イオン名誉会長の岡田卓也さんとの選挙出馬要請の話は、抱腹絶倒でした。
□12日、午後、商業界ホームページ委員会。夜は第3次面接。優れた人材が採用できそうです。13日、朝から伊藤園へ。『食品商業』誌上の大陳コンテストの審査会。200万円の大賞賞金は鹿児島のタイヨーと福井のAコープ鯖江が獲得。おめでとう。帰社してから役員会。『食品商業』編集長だった三浦美浩君が小社総務人事部長になってから、やたらに役員会が頻繁になり、各役員に対する要求も増えました。しかし、一つひとつしっかり議論し、正しく意思決定しています。とてもとても良いことです。
□14日、15日は「杉山ゼミ」の研修会。杉山ゼミとは、杉山昭次郎先生が座長で、磯身精祐さんが事務局長となったチェーンストア研究会です。毎月、商業界会館で開催され、編集部の面々が参加している会なのですが、今回は、特別バージョンで、『食品商業』山本編集長と同誌編集部員の竹下浩一郎君、そして私が参加することになったのです。高崎駅で落ち合って、レンタカーで店舗視察。2日間でまとめて20数店を見ました。カインズスーパーセンターとベイシア、マックスバリュとメガマート、ヤオコー、ベルク、フレッセー、そしてカルフール。さらにダイソー、しまむら、アベイル、バースデー、サンキ、田原屋。途中、群馬のインディペンデントスーパーマーケット「まるおか」によって、丸岡守社長とお話。すばらしい専門店です。初日の夜は、午前様で熱烈ディスカッション。今月は、ディスカッションの多い月です。2日目には、高崎同友会の森島和宏さんのお店「お漬物の森島」に突然の訪問。定休日にもかかわらず、大歓待を受け、感激。この店は、岡田徹さんの詩そのものです。「人の心の美しさがいっぱいに満たされた小さな店」なのです。
□16日、『コンビニ』『ファッション販売』『商業界』の連続拡大媒体会議。夜は、日本チェーンストア協会総会後の懇親会。いつもどおりホテルニューオータニ。新会長には東急ストア社長の川島宏さんが就任。応援します。パーティの席上での一言。同協会前会長で西友会長の渡邊紀征さん。「結城さん、ウォルマートは知れば知るほど凄い会社です」。「凄い」をこれほど的確に表現した言葉を、私は知らない。
〈結城義晴〉