最高経営責任者は、例外なく、孤独なものだが、
中内功さんは、とりわけ孤独な人だった。
度外れて、孤独な人だった。
会社や事業が、孤高のレベルに巨大化したから、
孤独が募ったのではなかった。
経営への責任感が強すぎて、
孤独になったのでもなかった。
その人間としての本質が、
孤独な存在だったのだと思う。
孤独だから、先頭に立って、
誰よりも勇敢に戦った。
孤独だから、部下に、
信じられないくらい厳しく当たった。
孤独だから、時として周辺に、
とてつもなく優しい配慮があった。
1980年2月末日。
ダイエーが小売業ではじめて1兆円を達成した瞬間、
中内さんの目は笑ってはいなかった。
私は、不思議なものを見た気がした。
中内さんは次々に、仕事を生み出した。
私は「皿回し芸人」と揶揄した。
しかし「千手観音の腕を持つ」とも評した。
孤独で純粋でとびきりの勉強家が、
時代の要求をびんびんと感じとり、
居ても立ってもいられぬといった気概で、
多くの仕事をつくり出していった。
1998年2月、商業界箱根ゼミナールの最終講座。
中内さんにとって最後の公けの講演だった。
こんなことを、中内さんは語ってくれた。
「皆さん、赤ちゃんはどうして生まれてくると思いますか。
それは、若い男性と若い女性の、
赤ちゃんがほしいという『思い』から生まれてくるのです。
事業も会社も『思い』から生まれてくるのです」
1999年1月、ダイエー社長退任のとき、中内さんはひっそりと漏らした。
「楽しいことは何もなかった、ですなぁ」
――発言を聞いて、がっかりしたという声があいついだ。
しかし私は、極めて孤独で純粋な人間の「魂」が、
自分の孤独を、客観的に突き放して見定めた言葉なのだと感じた。
孤独で純粋な人間の「魂」が、
日本の流通業を産業の入り口まで導いてくれた。
孤独で純粋な人間の「思い」が、
顧客の喝采を呼び、ダイエーを歴史の中に刻んだ。
この「魂」と「思い」を受け継ぐことのできる純粋な人間集団の登場を、
待つばかりである。
合掌。
㈱商業界社長 結城義晴