「コモディティは情報においても寡占化される」
アメリカのダウ・ジョーンズ社が、
世界的メディア・ニューズ社に買収される。
ウォルストリート・ジャーナルを発刊し、
「ダウ平均株価」で有名な、あの経済新聞社である。
買収する側のニューズ社は、
メディア王といわれるルパート・マードック率いる複合コングロマリット。
アメリカ・イギリス・オーストラリア等の
新聞社やテレビ局、映画会社などを傘下に治めている。
このニュースを知って、
私は、「コモディティは寡占化される」という私自身の立てた仮説を、
再認識させられた。
情報にもコモディティとノンコモディティがある。
ほとんどの消耗品的な情報は、コモディティである。
どのメディアの情報も、同質化していれば、
それはコモディティである。
どのメディアから受け取っても、さして変わらないものであれば、
それはコモディティである。
そしてコモディティ的情報は、いくつかの極に集中し、
やはり寡占化の方向で、収斂していく。
情報の受け手は、同じ情報ならば、
どこから入手してもかまわない。
ダイソーの老眼鏡を、
部屋ごとに用意している高齢者家庭のようなものである。
しかしその老眼鏡は105円でなければならない。
そして105円であればダイソーである必然性はない。
ただし105円の、品質のしっかりした老眼鏡を、
製造し、販売する機能を持つ者は、限られてくる。
地域の異なる情報提供というサービスなどは、
M&Aによって、資本の集中が図られる。
「情報の質」という報道現場からの声は、
ノンコモディティ情報を、
いかに継続入手し、継続発信できるか、
という現場の危機感から発せられたものだ。
ネット上でもコモディティ情報は氾濫している。
これらは確実に「クリティカル・マス」を突破したメディアに、
寡占化されていく。
それがこのニューズ社によるダウ・ジョーンズ買収の本質である。
してみると、新聞やテレビによる情報とは、
アメリカにおいてももはや20世紀的な、
コモディティ情報ということになる。
ノンコモディティ情報は、
きわめて専門性の高い知識によって出来上がる。
個性あるオピニオンである。
差異性に輝く切り口を持った提案である。
情熱に満ちた愛である。
<㈱商業界社長 結城義晴>