理屈っぽいけれど、昨日のつづき。
今日は、写真の本に、お世話になりっぱなし。
ピーター・F・ドラッカー著。
ジョセフ・A・マチャレロ編。
上田惇生訳。
『ドラッカー365の金言』。
当然ながら、ダイヤモンド社刊。
以下のドラッカー先生の言葉は、すべてこの著による。
私が、ちょっとだけ表現を変えさせていただいたところがある。
ご容赦願いたい。
さて、『商売十訓』第九訓。
九 文化のために経営を合理化せよ
私は、この第九訓を“マネジメント”と命名した。
『商売十訓』は実は、全体で、
商業経営のマネジメントを表している。
だから私は、十の教訓に一つ一つ命名した。
一 損得より先きに善悪を考えよう⇒プリンシプル
二 創意を尊びつつ良い事は真似ろ⇒イノベーション
三 お客に有利な商いを毎日続けよ⇒マーケティング
四 愛と真実で適正利潤を確保せよ⇒プロフィット
五 欠損は社会の為にも不善と悟れ⇒コスト
六 お互いに知恵と力を合せて働け⇒チームワーク
七 店の発展を社会の幸福と信ぜよ⇒サクセス
八 公正で公平な社会的活動を行え⇒ミッション
九 文化のために経営を合理化せよ⇒マネジメント
十 正しく生きる商人に誇りを持て⇒ビジョン
命名することによって、マネジメントの本質を、
『商売十訓』が表現していることに気づかされた。
すなわち、『商売十訓』は商業経営の体系なのである。
ピーター・ドラッカー教授は言う。
「鋸や金槌、あるいはペンチしか持たない者は、大工は出来ない。
それらの道具を一揃えにしたとき、
初めて大工道具を手にしたということが出来る。
それが、私が『現代の経営』で行ったことだ。
私はマネジメントを体系としてまとめたのだった」
『商売十訓』のすべてが揃ったとき、
真の商人が出来上がる。
さて、私が第九訓を、あえて“マネジメント” と名づけたのは、
「経営を合理化せよ」というフレーズが入っているからだ。
ドラッカーは、なおも言う。
「仕事が出来る者は、集中する。
集中するための原則は、
生産的でなくなった過去のものを捨てることである。
過去を捨てなければ、明日をつくることは出来ない」
これが、一言でいう「経営の合理化」である。
ドラッカーは、言い切る。
「あまりにわずかの企業しか、昨日を捨てていない。
あまりにわずかの企業しか、明日のために必要な資源を手にしていない」
経営合理化とは、人員の削減ではない。
昨日を捨てることだ。
私流に言えば、「自ら、変われ!」
「死臭を防ぐことほど、
手間のかかる無意味な仕事はない」
これもドラッカーの言葉。
私など、躍り上がって喜ぶ言葉だ。
生産的でなくなった過去のものを捨てる。
何が残るか。
生産的な過去のもの。
それが「文化」である。
明日につながる昨日のもの。
それが「文化」である。
だから「文化」のために「経営」を「合理化」することは、
なんら矛盾するものではない。
全うな理屈となる。
とりわけここでいう「文化」を、
「企業文化」と捉えると、
『商売十訓』第九訓は、明快になる。
不要となった過去のものを、捨て去る。
それが、経営の真髄である。
マネジメントの本質である。
では、何が、不要な過去のものなのか。
非生産的なもの。
明日につながらない過去のもの。
ここにはノスタルジーはない。
「企業文化」をつくっていくうえでは、
それ自身が商品価値を持たない限り、
過去のノスタルジックな要素は、
「死臭」でしかないのだ。
<結城義晴>