私は、毎日、ブログを書く。
私は、ずっと、文章を書いてきた。
自分の言葉、
自分の文体、
自分の考え。
それを、書いてきたつもりだった。
しかし、文章によるものであれ、
スピーチによるものであれ、
コミュニケーションとは、
受け手の存在によって成立するものだ。
ピーター・ドラッカー先生は言っている。
「聞く者がいなければ、コミュニケーションは成立しない」
読む人が存在しなければ、コミュニケーションは成立しない。
買い手がいなければ、
買い手が買わなければ、
商売は成立しない。
これとまったく同じである。
商売ならば、すぐに分かることが、
コミュニケーションとなると、
分かりにくい。
書けば、読んでくれる。
話せば、聞いてくれる。
そう、思い込んでいる。
しかし、受け手に受け入れてもらわねば、
コミュニケーションとはいえない。
もっとも、最初から受け入れようとしない者と、
コミュニケーションしなければならない局面が発生するが、
これはつらい。
しかしコミュニケーションに関して、4つの指摘がある。
第1に、コミュニケーションは受け手の言葉を使わねば、
成立しないこと。
あるいは、言葉の意味を、説明した上で、コミュニケートしなければ、
成立しない。
第2は、人間は期待しているものしか、受け付けない。
読んでも、聞いても、自分が期待していたもの、
あるいは期待の延長線上で、期待を超えるものしか受け入れてもらえない。
第3は、コミュニケーションは受け手に、何かを要求する。
したがって、受け手の価値観や要求と合致しない限り、
受け付けてもらえない。
抵抗にあうこともしばしばである。
そして第4に、コミュニケーションの内容、中身は、
あらかじめ受け手との間に、何らかの了解がなければ、
受け入れてもらえない。
勝利とは、自ら勝ち取るものではない。
たいていの場合、敵に恵んでもらうものである。
コミュニケーションも、自らつくりあげるものではない。
受け手によってもたらされるものである。
これが、大事。
昨日、とても良いコミュニケーションがあった。
明治乳業㈱リテールマーケティング部企画G課長中島聡さんとのコミュニケーション。
以前に一度、懇親パーティの席上でお会いしていたのだが、
直接、長々とお話しするのは初めて。
しかし、私は、良いコミュニケーションが出来たと思った。
これは、中島さんが私にとって、
極めて良い受け手であったから。
共通項も多かったから。
ともに福岡出身であったこと。
ともに慶応義塾大学名誉教授の村田昭治先生の「村田番」だったこと。
ともに大学院で教鞭をとる同好の志であること。
ともに仕事人間であること。
そして価値観が共通するところが多かったこと。
コミュニケーションも、相手から授けられるものなのだ。
心より、感謝したい。
そして、この、心からの感謝は、
自分の周辺やコミュニケーションの受け手に対して、
常にもっていなければならないことなのだ。
<結城義晴>