自分が変わらなければ、
会社は変わらない。
自分が変わらなければ、
相手は変わらない。
自分が変わらなければ、
社会を変えることなどとんでもない。
しかし、自分は自分である。
自分を変えたくない、という自分が、
当然ながらでんと、座っている。
そんなときのために、
会社のビジョンはある。
企業の理念はある。
別に、個人としての自分が変わるか否かは、
それこそ自分の問題でよい。
しかし、仕事をする自分である限り、
会社を、店をやっている自分である限り、
弱音を吐いてはいけないし、
自分を変え続けねばならない。
イノベーションし続けねばならない。
顧客のために、会社のために。
それができない者、
それをしようとしない者を、
「悪しき職人」という。
この「職人」という言葉、
とても難しい。
使い方が。
日本のスーパーマーケットの、
とりわけ生鮮食品の世界では、
かつて「職人」が存在した。
中には、自己変革をし続ける「職人」もいたし、
イノベーションを拒否した「職人」もいた。
一つの言葉には、
必ず、良い面と悪い面がある。
現在、かつての「職人」がやっていた仕事は、
ほとんど女性パートタイマーによって遂行されている。
会社の中には「出来高評価の仕事」と
「出来映え評価」の仕事がある。
スーパーマーケットのオペレーションを変えるとき、
この出来高評価の仕事は、
単純化、標準化していかねばならなかった。
すべての職人が、最初は、これに反抗した。
しかし、標準化の必要性が認識されてくると、
職人は二手に分かれた。
変革を受け入れ、
それを積極的に推進しようとするイノベーターと、
それを阻止しようとする「職人」とに。
自分を変えるとき、
この「職人論義」は重要である。
ただし出来映え評価の仕事には、
今でも、職人的な技術が要求される。
「匠の技」と言ったりするが、
それが不可欠だ。
ここにも、コモディティとノンコモディティの概念分岐が、
顔を出す。
コモディティは、職人否定か。
ノンコモディティは職人肯定か。
いずれにしても、
自分を変えることを拒否する者は、
会社を変えることはできない。
個人の生活では、わざわざ自分を変える必要はない。
それは自分に任されている。
それだけは確かだ。
<結城義晴>