2月11日、月曜日。
建国記念の日。
森龍雄先生が逝去された。
享年79歳。
昭和3年、香川県坂出のお生まれ。
幼少のころから、秀才と謳われ、
大阪陸軍幼年学校を経て、
戦後、東京工業大学電気工学コースをご卒業。
すぐに松下電器産業に入社、
無線事業部品質管理課勤務。
その後、坂出の実家の製塩業、建設業に従事。
昭和35年、日本能率協会コンサルタント、
物流システムの専門家として、昭和44年に独立。
日本リテイリングセンター常任講師。
その傍ら、昭和58年より、セブン-イレブン船橋栄町店オーナー。
晩年は、セブン-イレブンの店舗経営に精通しつつ、
アメリカのウォルマート研究に心血を注ぎ、
両者のシステム上の共通項、差異点を探究。
私は、この森先生のご研究、
何とか最後まで成し遂げていただきたいと思っていた。
この点だけは、残念だが、
森先生のお人柄は、素晴らしく、
良い交流をさせていただいた。
ずいぶん、ご一緒に旅行もした。
調査・取材も同行した。
私が駆け出しの頃、
一緒に、大阪の大西衣料の実地棚卸を調査したことがある。
衣料品の現金問屋で膨大な在庫を抱えながら、
毎月、実地棚卸をする大西衣料。
素晴らしいオペレーションは、
夕方から展開され、2時間ほどで片づいてしまう。
驚くべき仕組み、修練ぶり。
森先生は例によって、丹念にメモをとりながら、
「PERT図」に起こすべく調査を進められていた。
棚卸が終わり、インタビューが終了して、9時ごろ。
「先生、一杯やって、宿に向かいましょう」
私は声をかけた。
「いや、船橋に帰って、弁当の発注をします」
森先生、調査・取材をしながら、
セブン-イレブンの発注の仕事をないがしろにしない。
私は目前に展開されていた大西衣料の棚卸に驚いた上に、
森先生の仕事ぶりにも、驚愕した。
それほどに仕事に純粋で、ひたむきで、まじめな先生だった。
お別れのとき、
大阪陸軍幼年学校の同窓の皆さんが、
棺を前に、別れの歌を斉唱された。
「遠別離」
程遠からぬ 旅だにも
袂分かつは 憂きものを
千重の波路を 隔つべき
今日の別れを 如何にせん
「ファミリーゲーム」という映画がある。
ショーン・コネリー主演。
この映画でコネリーが亡くなったときに、
皆で集まって、朗々と歌う。
「ダニー・ボーイ」
私は、そのシーンを思い浮かべた。
泣けた。
80歳前後のご老人たちが、
友の死を前に、歌う。
朗々と、歌う。
「遠別離」
中村秋香作詞 杉浦千歌作曲。
「遠別離」に送られて、
森先生は、逝かれた。
ご冥福を祈りたい。
<結城義晴>