いまや週刊誌は、衰退の一途をたどっている。
だから同質競争を繰り広げ、
類似商品が出回る。
週刊誌の類似商品、同質競争とは、
例えば現時点で言えば、
8月24日に終わった北京オリンピックの増刊号。
どこも同じような特集内容、記事内容、グラビア写真。
そして極めつけ。
「週刊朝日」「サンデー毎日」の増刊号の表紙が、
同じ写真家が撮った全く同じ写真となってしまった。
撮影したのはAP通信のデビッド・フィリップというカメラマン。
写真は金メダリスト北島康介選手のゴールした瞬間のもの。
視点が同じ、狙いが同じ、供給者が同じ。
だから最後の商品が類似してくる。
これでは衰退する。
「コモディティ化現象」
製造業では、類似商品。
アメリカでも、パッケージを取ると同じ商品ばかりと、
学者やジャーナリストが指摘する。
だから「コモディティグッズ」ばかりの売り場となる。
スーパーマーケットやドラッグストアといった小売業も、
外食レストランやパチンコホールといったサービス業も。
類似店舗、同質店舗。
みな、同じことをしていたら、
週刊誌のように衰退して、
やがては必要なくなってしまう。
コモディティは「寡占から複占へ」
すなわち二者へ、収斂してしまう。
マスメディアで言えば、
インターネット情報のほうが速い、面白い、過激。
週刊誌や月刊誌の意味は極薄。
特集も外注、ネタも外注、記事も外注、写真も外注。
オリジナリティは、そこにいる編集者だけ。
しかも編集者が切磋琢磨しない。
インターネットで情報を集め、
それで短い記事を書く。
あるいはそんな記事を集めるだけ。
店や商品がそうならないためには、
自分で考え、自分で手当てし、自分で集める。
「売場編集」などという出版言葉が、
百貨店で使われたりしたが、
それは自前でやることを意味する。
そしてこれが大事なのだが、
編集を自前でやり、
特集を自前でつくるには、
現場主義に徹した上で、
自前で記事を書かねばならない。
少なくとも自前で現場記事を書く訓練が、
終わっていなければならない。
小売業、商業で言えば、
コツコツと現場の業務をマスターしてはじめて、
売場がつくれるし、
店長やバイヤーの仕事も全うできる。
マスコミには、外に、
ルポライターやカメラマンが腐るほどいる。
たとえてみれば、
商品づくり、売場づくりの外注スタッフが、
山ほど存在するようなものだ。
だからいきなり店長やバイヤーになれる気がする。
それでは結局、類似商品しかつくれなくなる。
「週刊朝日」「サンデー毎日」
複占のなかで生き残るのは難しいだろう。
よほどの自己改革がなければ。
マスコミの仕事とは、本来面白いものだ。
小売業やサービス業の仕事も、
本来、とても面白いものだ。
それは現場のリアルさを知ることだし、
そこに自分らしさを発見し、投影し、
誌面や売場・店に表現できるからだ。
この面白さや遣り甲斐を放棄した仕事には、
私は、ひどく憤りを覚える。
「そんなやつは、去れ」
と言いたくなる。
その意味では、店にも企業にも、
危機が迫っているのかもしれない。
「コモディティ化現象」に遭遇するたびに、
そう思う。
<結城義晴>