金曜日はもうおなじみ。
惣菜マーチャンダイジングの第一人者。
林廣美先生の、今週末に向けた「金曜日のこの一品」。
「新米おむすび」
銘柄米を炊いて、
手造りおむすび。
小さめおむすび2個に、
おかずを詰めての298円ランチメニュー。
秋に収穫されたばかりの米を「新米」という。
新米は「風味」「艶」「粘り」「香り」が特徴。
だから米のもつ本来の食味を楽しめる。
そこでおむすび。
秋真っただ中の今週末の提案。
手造りおむすび。
新米を上手に炊くためのポイント。
古米に比べ水分を多めに含んでいる。
だから炊く時には水量をやや少なめに調整すること。
さて、昨日も一日、会議詰め。
さて、昨日も一日、会議詰め。さて、昨日も一日、会議詰め。夕方から、六本木ヒルズ。
森タワー51階の「六本木ヒルズクラブ」
「井上喜久栄さんの『経済広報センター企業広報賞』受賞を祝う会」が開催された。
発起人の皆さん。
向かって左端が、
(元)ダイエー専務取締役秘書総室長の田邊壽さん。
右端が、(株)イチケン取締役専務執行役員の土谷忠彦さん。
土谷さんは(元)ダイエー常務取締役広報管掌。
お二人とも、井上喜久栄さんの元上司。
井上さんは、経団連加盟企業でも珍しい、最初の女性広報部長。
流通業ナンバーワン時代のダイエーの広報部長。
私も、ずいぶんお世話になった。
その井上さんが大きな賞を受賞。
「第24回経済広報センター企業広報賞企業広報功労・奨励賞」
そのお祝いの会。
現在は、(株)スタッフサービスの所属。
オフィス事業本部コーディネート部の、
キャリアアドバイスセンター・マネージャー。
この賞は、(財)経済広報センター(御手洗冨士夫会長)が、
企業広報の発展を祈念して1984年に創設。
毎年優れた企業広報を実践している企業、
経営者ならびに企業広報の実務者を表彰している。
井上さんは、ダイエー入社以来、
一貫して広報セクションに携わり、
スタッフサービスに転じた後も、
同社及び業界広報や後進の育成に貢献した。
それが受賞理由。
会場のスクリーンには、
経団連会長でもあるキャノン会長の御手洗さんから、
トロフィーを受け取っている井上さんの写真が映し出された。
表彰状とトロフィーも展示された。
最初のご挨拶は、田邊さん。
田邊さんはダイエーホークス球団社長も務められた。
乾杯の音頭は、馬場禎子さん。
元ダイエー取締役で井上さんの元上司。
100万部を誇った「オレンジページ」の創刊編集長でもある。
会場には、ダイエーのOB多数。
マスコミ関係者も多数。
150人近くの人が集まった。
スクリーンには、故中内功さんの映像も映し出された。
井上さんの挨拶。
「ダイエーで、
企業の存在の大きさ、重さ、深さ、
そして喜び、悲しみ、
みんな教えてもらいました。
『最後まであきらめない』が私のモットーですが、
『ねあか、のびのび、へこたれず』の中内さんの言葉にも、
励まされました」
素晴らしい挨拶。
こんなスピーチができる人は、
広報マンの中にも、マスコミ人の中にも、
そう、ざらにはいない。
最後に、私たち二人でツーショット。
井上さんがダイエーに入社し、
大阪・江坂の広報室に配属された時、
私は(株)商業界『販売革新』の編集記者、3年目だった。
私は、毎月のように、大阪に取材に出かけた。
その後、東京に広報室の主力が移り、井上さんも異動。
着実に階段を上り、
とうとう広報部長に。
その間、ダイエーは昇り竜の如く躍進し、
落日のマークの如く沈滞した。
井上さんは、それを見続け、支え続けた。
私は、編集長から編集担当取締役、専務取締役編集統括、
そして代表取締役社長に。
ダイエーのエネルギーの充満と、
そのエネルギーの喪失を見届けた。
ずっと、ダイエー広報部には、お世話になりっぱなし。
井上さん経由の仕事も多かった。
1996年、シアル・ドールの日本代表審査委員だった私は、
この世界ヒット商品コンクールの代表アイテムのひとつに、
ダイエーの「セービング・アイスクリーム」を、
国内選考して、それをもって参加した。
このときにも井上さんに大変、お世話になった。
この商品は、プライベートレーベル部門の世界第3位だった。
実は、このアイスクリームを開発したのが、
現在、商人舎オーガニック/ナチュラル研究会座長の溝口信良さん。
当時、ダイエーのバイヤー。
今年、10月には、私、また溝口さんと、
アメリカでダブル・コーディネートする。
考えてみると、井上さんには、
助けられることばかりだった。
いま、あらためて、感謝したい。
幸せになってください。
心より、お祈りします。
(結城義晴)