自転車に乗って
ベルを鳴らし
あそこの原っぱまで
野球の続きを
そして帰りにゃ
川で足を洗って
自転車に乗って
お家へ帰る
(詩・曲 高田 渡)
高田渡さんのゆったりした歌声が、
耳に残っています。
ある朝、この歌を、
ふっと、思い出すことがあります。
そうしたら、一日中、
高田渡さんの声が、
私の耳に聞こえています。
そして、一日中、
幸せな気分になります。
ぼくの自転車の
うしろに乗りなよ
二人乗りで
二人乗りで
遊びに行こうよ
(作詞・作曲 忌野清志郎)
自転車には、「なにか」があります。
だから自転車の歌はいい。
高田渡の「自転車に乗って」もいいし、
忌野清志郎の「ぼくの自転車のうしろに乗りなよ」も、
もちろんいい。
でも、自転車の歌、意外に少ない。
自転車に「なにか」があるのに、
自転車の歌、意外に少ない。
それは、自転車の「なにか」を、
歌にする能力を、
自転車が、
人々から奪ってしまうからです。
だから自転車の歌をつくることができる人は、
自転車から愛された人です。
それくらい自転車を、
愛した人でもあります。
自転車から愛され、
自転車を愛し、
しかもそれを自然に歌にすることができる人。
少ない。
少ないけれど、
必ずそんな人はいる。
そんな人は必ず、
自転車の歌をつくる。
だから自転車の歌は、
みんな、「なにか」を持っています。
自転車と似たもの。
それは店です。
私は、自転車の歌がつくりたい。
私は、店の歌もつくりたい。
高田渡、
忌野清志郎、
そして岡田徹。
<結城義晴>