商人舎ファミリーの佐藤美恵子さんが、
5月27日午後5時0分、逝去されました。
享年51歳でした。
心よりご冥福をお祈りいたします。
昨日は、夕方から、銀座で会合。
早稲田大学壽里茂ゼミ稲門会の幹事会。
壽里先生には、500人超の弟子がいる。
そのOB・OG会が2年前に正式に「稲門会」となった。
「稲門会」とは早稲田大学から公認された団体ということ。
壽里先生は現在、早稲田大学名誉教授。
大正15年生まれの83歳で、いまだすこぶるお元気。
この年齢は、私の父母と同じ、
さらにペガサスクラブ主宰の渥美俊一先生も、
今年8月、83歳になられる。
私は、妙に大正15年生まれに縁がある。
さて、壽里ゼミ稲門会の幹事会。
昭和47年卒業の大先輩から、
さらに平成の卒業の新進気鋭まで、
8人が集まった。
10月25日に、総会を開催することになった。
私は、代表幹事を仰せつかっているが、
ほとんどの仕事は事務局の内藤邦夫さんが、
それこそ身を粉にして、遂行してくれている。
昨日はダイナム・ホールディングス社長の佐藤洋治さんから、
とてもいい話を聞いた。
「啐硺」(そったく)
「啐」(そつ)は鶏の雛がかえるとき、殻の中で雛がつつく音のこと。
「硺」(たく)は、その音を聞いて母鶏が殻を噛み破ること。
『広辞苑』にはこう書いてある。
啐がないのに、母鶏が殻を破ってしまうと、
雛は死んでしまう。
啐があって、初めて硺がある。
佐藤洋治さんは、
パチンコホールの産業化の中でそんなことを考えている。
どんなことにも、「啐硺」はある。
しかし、啐にたいして、
母鶏が硺の準備をして、
待ち構えていなければならない。
私はこの「啐硺」の話を聞いて、
2年ほど前のことを思いだした。
私が、㈱商業界の社長を退くことを決めたとき、
先輩の奥田則明さんが言った言葉。
「押す力と引く力がある」
この押す力と引く力は、
「啐」と「硺」であることは間違いない。
私も、押す力と引く力の調和によって、
現在があるのだと思っている。
佐藤美恵子さんが逝ってしまった。
一方、壽里先生、渥美先生、私の両親は、
みな、元気。
それを壽里ゼミ稲門会で、実感した。
人の運命にも、「啐硺」と「押す力・引く力」が、
働いているに違いない。
ご冥福を祈りつつ、
そんなことを考えた。
合掌。
<結城義晴>