今日のこのブログで、
[毎日更新]を宣言してから、
丸二年。
昨年がうるう年だから、
366日+365日=731日
連続して、やや長編のブログを書き続けてきました。
ご愛読くださっているすべての皆さんに、
心から感謝したします。
読むひとがいる。
だから書く。
これが丸二年続いた原動力です。
阪神タイガーズの「アニキ」金本知憲選手のような連続記録は、
実は2007年8月12日から続いています。
だから厳密には、連続741日。
当時、私は、㈱商業界の代表取締役社長でした。
60年近くの会社の七代目の社長。
8月31日に定時株主総会を控えていて、
その場で、商業界勤続30年と取締役11年、
代表取締役2期4年を無事終了させ、
退任することになっていました。
そこで、いわば自由になる自分に、
負荷をかける意味で、
[毎日更新宣言]を発したのでした。
毎日できるかどうか、
まったく自信がなかったので、
8月12日の日曜日から、
ウォーミングアップを10日ほど。
そして勢いをつけて、
8月23日に「宣言」を発しました。
「宣言」すると、意地でもやめられない。
ついでにブログのタイトルも、このときから
結城義晴のBlog[毎日更新宣言]
2007年8月23日。木曜日。
私は、以下のように書いています。
[結城義晴のBlog 毎日更新宣言]の今日。
私の心の中にあるのは、
「凡時徹底」と「有事活躍」である。
「悪戦苦闘能力」である。
まったくこの通りでした。
以来私は、いつどこに行くときにも、
パナソニックCF-W7を携帯し続けました。
たった一回の例外は、富士山頂に向かった時だけ。
毎日毎日、「凡事徹底」の積み重ね。
昨日感じたこと、考えたこと
感動したこと、怒ったこと。
良い言葉、良い店。
新聞、雑誌、本。
毎日を意識しているうちに、
日々の生き方が大切で貴重だということがわかり、
そのうえで、1週間の過ごし方が鍵を握ることが実感され、
1カ月は結果であることが判明しました。
私は、30年間、
主に月刊雑誌を執筆し、編集し、統括してきました。
だからマンスリーのサイクルで生きてきた。
しかし、デイリーが基礎単位であって、
ウィークリーこそ生活単位なのだということを、
いやというほど思い知らされたのです。
「凡事徹底」が、「毎日」を充実させるのです。
しかし「有事活躍」もありましたし、
「悪戦苦闘」もありました。
アメリカ出張するたびに、
このブログは私に、大きな負荷をかけました。
ほとんど毎日2~3時間の睡眠で書き続けました。
先日は、富士山頂からブログをお届けしました。
この時だけは、携帯電話からでしたが。
[毎日更新宣言]を始めた週末の2007年8月26日[日曜日]。
参議院選挙がありました。
ここで自民党は大敗し、
安倍晋三首相は、8月28日の火曜日に新内閣を組閣し、
9月中旬、突如、退任してしまいました。
私の退任は、その組閣の3日後でした。
それから福田康夫首相、
麻生太郎首相。
この[毎日更新宣言]は、
三人の首相と付き合ってきたわけですが、
4代目の首相で、政権交代の雲行きです。
朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞こぞって、
民主党300議席獲得を予言しています。
このブログを続けている間、私は、
「病気になれない」と思っていましたが、
昨年春の桜のころには、
緑内障手術で10日ほど入院しました。
2時間の手術を2回受けました。
しかし、「ブログだけは」と思って、
「悪戦苦闘能力」を発揮させました。
いつしか、結城義晴は、
「ブログ命」となっていました。
2007年9月30日、日曜日からは、
「ジジ」が登場しはじめました。
いまでは、全国的な人気を頂戴しています。
これも、うれしいことでした。
苦しいこと、
楽しいこと、
悲しいこと、
憤ること。
私は、すべてを、このブログに表現しています。
ご愛読くださっている皆さん、
応援してくださっている皆さん。
心から、感謝いたします。
これからも、
結城義晴のBlog[毎日更新宣言]
毎日、続きます。
さて、神出鬼没の結城義晴。
昨日は、東京・芝の機械振興会館で研究会のレクチャー。
社団法人流通問題研究協会の、
「チャネル戦略研究交流会」。
テーマは「リテール・マーケティングの方向性」
一昨日の盛岡講演とは、全く別次元の内容。
こういった小さいけれども鋭い人々の集まる研究会で話すこと、
私は大好きです。
協会理事長の三浦功先生、
㈱プラネットの玉生弘昌社長。
お二人が中心の研究会。
質問も討論も、高い次元のレベル。
ここでも私、本当に勉強になった。
学び、
考え、
纏め、
発する。
再び、
学び、
考え、
纏め、
発する。
みたび、
学び、
考え、
纏め、
発する。
この繰り返しが、
私の人生。
私の人生自体にも、
心から感謝。
<結城義晴>