イオン岡田元也社長が記者会見。
各紙が報じた。
話題の第一は、総合スーパー業態の転換策。
イオンでは「ジャスコ」というバナーを使っているが、
マイカルの「サティ」など含め国内に約560店を展開している。
これらは、連結売上高の約半分を占め、
営業利益は1割を超える。
この総合スーパーの著しい低迷が、
上半期連結決算における最終赤字を招いた。
「ユニクロなどに比べて時代遅れなビジネスモデルになっている」
岡田元也さんは、こう語ったが、
まさに、業態のライフサイクルから考えると、
明らかに衰退フォーマットの様相を呈している。
「商売の仕方、店の構え方など、
根本的に考えなければならない」
そして、業態の抜本的な転換を示唆。
イオン名誉会長の岡田卓也さんの本がある。
『岡田卓也の十章』(㈱商業界刊)
私が、前職の最後に置き土産のようにしてきた本だが、
その第一章は「店舗編」。
タイトルがふるっている。
「建物」が多いだけで「店」は少ない。
岡田卓也さん自身が述懐しているのだ。
店の形をした建物は多いが、
お客様から支持される本物の店は、
ひどく少ない。
ジャスコをはじめとする総合スーパーの立て直しは、
「店」にするところから始めねばなるまい。
「店」にならない立地の「建物」は、
さっさと撤退するか、閉鎖するか、
または業態転換するしかない。
衰退業態の店が、
すべて機能しなくなるわけでは、
決して、ない。
衰退業態の店は、
機能する立地が限定されてくるのだ。
総合スーパーは、
「衣食住の商品を手ごろな価格で販売する業態」。
この「あいまいな総合性」が、
「つきつめた専門性」によって、
市場を奪われてしまった。
需要と供給の関係の中で、
供給が足りないときには、
「総合性」の便利さは効果を発揮する。
しかし、供給過多の時代には、
その「総合性」は無駄となる。
顧客は「専門性」を重視する。
ただ便利な総合店に並ぶ商品やサービスは、
もはや必要とされない。
コンビニやスーパーマーケット、
ドラッグストアやカジュアルファッション店は、
消耗品や購買頻度の高い商品群を売る。
しかも「専門性のある総合」であって、
これらの店が顧客の周辺に存在すれば、
「総合スーパー」はもはや必要とされない。
岡田元也さんは、明言したという。
「店舗家賃の引き下げや人員配置の見直しで、
約390億円のコスト削減をし、
2010年2月期の連結最終損益は黒字化する」
先の『岡田卓也の十章』第三章「競争編」の最後の言葉。
問屋から集めた独自性のない商品を、
何の技術や創意工夫もなく、
安易に並べているようなお店に、
……、未来はない」
岡田元也会見のもう一つのテーマは、
デフレと安売りに関するもの。
岡田さんは語った。
「他社より1円でも安い物を売るという競争は効果がない」。
安売り競争が「マンネリになっている」。
値下げに代わる集客手段については「答えがない」。
このあたり、ちょっと弱気。
ただし、「流通業界の低価格競争がデフレの元凶」との批判には、
一転、強気。
「生産性を向上させて所得を上げる努力が必要」
顧客が喜ぶことに邁進する。
それが小売業だし、
岡田元也が目指す「革命商人」のあり方だ。
故倉本長治は、『考える商人』(商業界刊)の中で言っている。
「我々が言う商業革命とは、
商品の取引、消費者に対する販売の考え方から、
そのための組織は方法をすべて急変させることを指し、
革命商人というのは、その激動を、
みずから挺身推進する勇気ある先駆的商人のことである」
『岡田卓也の十章』から。
第四章のタイトルは「絶対不利は絶対有利に通ずる」
第九章のタイトル「やり方を考えて考えて考え抜く」
さて昨日の東京・銀座六丁目交差点。
米国カジュアル衣料チェーン「アバクロンビー&フィッチ」がオープン。
通称「アバクロ」期待のアジア第一号店。
1階から11階までの鉛筆ビルで、店舗面積は973.73㎡。
1892年にデビッド・アバクロンビーによって創業されたアバクロは、
アメリカ、ヨーロッパ、そして日本でも人気の的。
2009年全米チェーンストアランキングでは96位で、
年商35億4000万ドル(100円換算で3540億円)、
ただし売上げは前年比マイナス5.6%。
純利益は2億7200万ドルで、
こちらは前年比マイナス42.8%。
店数は1125店で、8.75%増。
エキサイティングな売場づくりや売り方は、
ニューヨーク5番街の店と変わらない。
しかしジーンズは2万円前後、
ティーシャツは5000から1万円というから、
1.5倍から2倍近く高い。
アバクロのような超のつくステータスをもつ店は、
明らかな高売りでも、一応は顧客が並ぶ。
これが長続きするかどうかは分からないが、
アメリカに行って、アバクロで買う喜びと優越感は、
ちょっと残された感じがする。
この分野は、まだまだ「舶来品」感覚なのか。
<結城義晴>