2009年の大晦日。
2009年最後の日。
1年を振り返ってみるが、
なぜか今年は、
1年が終わるという感慨が薄い。
宿題をやり残したまま、
夏休みの最後の日の夜が更けてゆく。
子供のころの、あの感じに似ている。
やり残したことが、多い。
私自身に、日本社会全体に。
しかし、やらねばならない。
年明け早々から。
それが今日の心境か。
私の、そして日本の。
「米国の変化で明け、日本の変化で暮れた」
日本経済新聞のコラム「大機小機」で、
コラムニスト渾沌氏が言う。
「供給者の論理から生活者の論理へ、
中央集権から地方分権への転換は、
成熟した市民社会のありようとして、
間違ってはいない」
私も、そう思う。
「『コンクリートから人』への所得再配分政策の転換は、
時宜にかなった実験といえる」
これには、大賛成。
昨日発表された成長戦略基本方針。
昨日のブログで先行して評価したが、
小売商業・サービス業が、
主軸の一つになることは確かだ。
「金融主導のマネーゲーム的要素を強めるのか、
金融は実体経済のしもべに徹するのか」
私は、当然ながら後者を、推す。
「経済危機は去っておらず、
パラダイムの転換に伴う混乱が収まるには、
時間がかかる」
それが、今日大晦日の、
宿題をやり残した、この感覚につながっている。
昨年の大晦日のこのブログでも書いた。
「最悪を覚悟して、
最善を尽くす」
故中部銀次郎さんの言葉。
来年も、同じようになりそうだ。
「国家が秩序を保ち、
国民一人一人が自由を享受するには、
清貧が最も有効だ」
<『マキアベッリ語録』(塩野七生)より>
バブルとは、この清貧から、
遠く離れた世界のことを言う。
だからバブルの崩壊とは、
正常への回帰を意味する。
マキアベッリは続ける。
「清貧を尊ぶ気風が、
国家や都市やすべての人間共同体に栄誉を与えたのに対し、
富追求の暴走は、
それらの衰退に役立っただけなのであった」
マキアベッリの語る「国家」を、
「企業」に置き換えて考えよ、と、
塩野さんは、語る。
今日時点では、文字通り「国家」と考えてもよいし、
「企業」に置き換えてもよい。
それが今日の私の、この気分である。
12月の標語を「厳しさに学べ」とした。
いかがだったろうか。
さらなる厳しさは、来年に持ち越されるのだろうか。
「変革というものは、ひとつ起こると、
必ず次の変革を呼ぶようにできているものである」
これもマキアベッリの言葉だが、
この12月、「厳しさ」に学んで生まれた小さな変革が、
必ず次の変革を呼ぶ。
そう考えると、元気も湧いてくる。
勇気も芽生えてくる。
2010年という区切りの年を、
小さな変革の連続する1年にしたいものだ。
会社や企業、
国家や家庭の根底に、
「清貧の精神」がある限り、
秩序は保たれ、
自由は享受される。
それが2010年だと思う。
最後に、今年1年のご愛読、
心から感謝したい。
365回のブログ更新。
今年も達成できたことに、
感謝したい。
一昨年8月12日から数えて、
連続873回。
1月元旦に、
「毎日更新」を宣言し、
12月大晦日に、
「毎日更新」を閉じる。
今回も同様に、
ここでいったん「結城義晴の毎日更新宣言」は、
終了することとなる。
右、左、上、下。
どっちを向いても感謝(水口健次)
<結城義晴>