立教大学大学院ビジネスデザイン研究科。
その2009年度結城ゼミの院生5人。
ちなみに大学院の学生は「院生」と呼ばれる。
大学生・専門学校生は「学生」
高校・中学生は「生徒」
小学生は「児童」
幼稚園・保育園生は「園児」
細かいようだが、アナウンサーなどが、
制服を着た高校生に向かって、
「学生さん?」などと呼ぶと、
私は、本当に腹が立つ。
さて、その結城ゼミの院生の卒業論文。
明日15日の午後20時30分が締め切り。
この時間までに提出しなければ、
もう一年やらねばならない。
そのくらい切羽詰まっている。
しかし、今日までに、4人が提出できそう。
卒論は6万字から4万字で仕上げる。
みんな力作ばかり。
私は、すべて、隅々まで、
真剣に読んでいる。
昨夜は完全徹夜となってしまった。
しかし、良い修士論文や調査研究論文が出来上がると、
本当にうれしい。
なおかつ、ゼミ生の考察力や文章力が、
飛躍的に上がっているのを確認することは、
無上の喜びだ。
1年間集大成の修士論文を仕上げると、
全員が全員、目に見えて力量を上げる。
人は試練をくぐらねばならない。
私も一緒にその試練に立ち向かおう。
いつもその心構えでいる。
私の生きがいでもある。
しかし、あと一人、あと一本。
ともに頑張ろう。
さて昨日は、朝から、
東京のモノレール流通センター駅。
㈱菱食本部を訪問して、
廣田正特別顧問にインタビュー。
商人舎と商人ねっとの共同企画CDオーディオセミナー。
「知識商人登場」
廣田の前に廣田なく、
廣田の後に廣田なし。
いつも私は勝手に言っている。
しかし、本当にそう思っているから仕方がない。
廣田さんは、昭和30年に北洋商会という食品問屋に新卒入社した。
社員38人、年間売上高10億円の会社。
それが現在、社員数は100倍。
売上規模は、1300倍の会社になった。
その成長を廣田さんは、ずっと、
推進しつつ、見続けてきた。
「1300倍ですから、とにかくいつも忙しかったです」
それから、『流通革命』という本がベストセラーになった。
昭和37年のこと。
廣田さんが入社して、7年経ったころ。
「問屋無用論」などがジャーナリスティックに書かれていた。
しかし、この試練を廣田さんと菱食は、
くぐりぬけてきた。
1960年代は、これを信じ続けた。
「不満足領域の継続は新産業を生む」
1970年代には、スーパーチェーンが急成長。
「後進の先進性」を学びとった。
そして1980年代の2度のオイルショック。
1990年代のITの進化とロジスティックスの確立。
ベルリンの壁の崩壊とデフレの始まり。
廣田さんはいつも広い視野と高い視点で、
こういった現象を見通してきた。
まさに「鳥の目・魚の目」を持った経営者だった。
私は、ずっと廣田さんの目を見続けていた。
「今は、混迷の時です。
しかし混迷こそ、次の時代には、
大きな飛躍をもたらすもの」
「ただし、しっかりと見ていなければいけない。
漫然と見ていると、混迷から抜け出すことができない」
廣田さんは、試練を楽しむかのように言った。
それは、数々の試練を経験してきた廣田さんならではのものだった。
私は、本当に元気が出た。
自ら試練に飛び込んで、
その中で、いちずに冷静に、
ことの成行きを見つめよう。
そうすれば、必ず道は開ける。
「心は燃やせ、頭は冷やせ」
廣田さんと3時間を過ごして、
私は、この言葉を思っていた。
心から感謝。
<結城義晴>