コーネル大学RMPジャパン第二期。
「奇跡の二期生」と呼ばれたチームの、
解散のときが迫っていた。
アメリカ合衆国ニューヨーク・マンハッタン。
現地時間7月25日月曜日で、
店舗視察の研修は終わり。
第二期生全員に、「解放感」が訪れた。
その夜から、魑魅魍魎の世界が展開。
宿舎はマンハッタンの新宿歌舞伎町タイムズスクェア「ノボテル」。
私の部屋21階からハドソン川を望む。
部屋も快適。
25日夕方、視察を終えて、
三々五々、自分の楽しみに勤しむ。
野球を見るグループ、
ミュージカルを楽しむグループ。
ジャズやクラシックを聴くグループ。
ラーメン店を巡るグループ。
そしてひたすら飲みまくるグループ。
それらの梯子をする者。
私たちはまず、タイムズスクェアへ繰り出した。
この広場の真ん中に、巨大モニター。
カメラがこちらを向いていて、
この巨大画面に自分が映る。
誰しも手を振って、その画面に映る。
われわれも例外ではない。
ど真ん中の一番前、
左手を振りつつカメラのシャッターを切る結城義晴。
ベージュの上下のスーツ。
その右となり、ビデオカメラを回す荒井伸也先生。
紺のジャケットにグレーのスラックス。
そんな混雑のタイムズスクェアから、
ジャズハウス「バードランド(Birdland)」へ。
バードランドは、戦後の1949年当時、
ブロードウェイ52ストリートにオープン、
ジャズの黄金時代を牽引。
店名は、チャーリー・パーカーのニックネーム「バード」からとられ、
「バードの国」と名付けられた。
その後、閉店し、106丁目に移転、
さらに44丁目に移転し営業している。
チャーリー・パーカー、カウント・ベイシー、マイルス・デイヴィス、
ジョン・コルトレーン、アート・ブレイキー、バディ・リッチなど、
まさに大御所のジャズ・ミュージシャンが常連となって、
ライヴ盤が残されている。
私もアート・ブレイキー盤をもっている。
㈱万代の西水啓介さんのコーディネートで、
そのバードランドへ。
今宵は、夕方6時から女性ジャズ・ボーカリストのヒラリー・コール。
素晴らしかった。
ワンステージ終わっても、まだ明るい。
そこでタイムズスクェア真ん中のシーフードレストランへ。
「ブルー・フィン」。
昨年も、一昨年も、
私はこの店に来ている。
新鮮な牡蠣やオイスター、貝類がおいしいし、
ステーキも一流。
食事をしていると、階段の中頃で、
ジャズの生演奏。
これも良し。
十二分に堪能して、
荒井先生と二人、ホテルへ。
他のメンバーは三次会、四次会へ。
明け方までの兵もいた。
翌日は、完全自由行動。
今回のコーネル・ジャパン旅行は、
通常の商人舎視察セミナーではない。
〈ちなみに商人舎秋のUSA視察スペシャル・コース絶賛募集中〉
だから自由行動時間をまるまる一日とった。
私は、ホテルのコンシェルジュに頼んで、
急遽、ゴルフを楽しむことにした。
お相手は、もちろん荒井伸也先生。
そうしたら、すぐにゴルフ好きが6人になった。
クィーンズ地区の名門フォレスト・パーク・ゴルフコース。
10時にタクシーでホテルを出発し、
10時半、コースに到着。
各自1台ずつのカートで、レンタルクラブ。
夕方、4時過ぎ、スルーで回ったふた組が、
クラブハウスに上がってきた。
楽しい一日。
美術館や博物館を巡る者、
グランドゼロなどの観光に勤しむ者、
セントラルパークで散歩する者、
小売業視察する者、
ホテルライフを楽しむ者、
「昼ラー」と称してラーメンにこだわる者、
そしてゴルフグループ。
それぞれの楽しみ方を、
それぞれが自己の判断で、
チョイスし、実行できる。
それがコーネル・ジャパンの極めて優れたところ。
決められたことを、レールの上を、
ただひたすら歩いてしまう輩ではない。
夕方は、7時からブラジル料理「シュラスコ」。
三井物産USA副社長・佐藤一夫さんが、
今年も夜の食事会の主催者としてご挨拶。
この一年で、経済状況は一変した。
佐藤さんからそんなことを学んだが、
佐藤さんご自身の顔つきや話しぶりが、
何よりも好況への転換を物語っていた。
心から、感謝。
ビールを楽しみ、ワインをたしなみ、
ブラジル料理を堪能して、
解放感はリオのカーニバル並み。
荒井先生と谷康一さん。
第二期生は、最後の夜を、
これ以上ないというくらいに堪能した。
私は、荒井先生とホテルに帰って、仮眠。
午前2時半に起きだして、仕事。
私は、今回のコーネル・ジャパン第二期生に「脱グライダー」を説いた。
すなわち、「それぞれが自分のエンジンを持て」という主張。
しかし既に第二期生は、全員が自分のエンジンを持っていた。
だから私は途中で方針転換した。
自分のエンジンをふかすことは当然、
そのうえで、編隊飛行を試みよ。
第二期生のニューヨークの楽しみ方を見ていて、思った。
編隊飛行もマスターしてしまった、と。
私は無性に嬉しかった。
嬉しいマンハッタンの夜だった。
<結城義晴>