雨模様の東京・鉢山町。
気持ちの整理をつけてから、
渥美俊一先生の霊前に、
線香をあげてきました。
帰国してから、最初にしたこと。
奥様の宮本田鶴子さんが、
丁寧に応対してくれました。
以前に渥美先生が肺がんに侵されたときにも、
鉢山町のお宅で、ふたり、
話し合ったことを思い出しました。
6月28日に動脈瘤の手術を受け、
手術そのものは成功しました。
6月30日の午後5時30分の写真は、
病院のベッドに横たわり、
両手でVサインをする渥美先生の姿を残しています。
その後、発熱し、肺炎を併発。
そのまま3週間。
やがて苦しむこともなく、
静かに息を引き取られたそうです。
7月21日午前2時。
多臓器不全。
ご冥福を祈ります。
日本の商業・サービス業は、
敗戦後、大きく成長・発展を遂げ、
近代化を果たしました。
経済の復興や高度成長が背景にありましたが、
商業の側にも、経済成長に呼応する準備が出来上がっていました。
ひとつは理念において。
ひとつは理論と運動体において。
理念を提示したのは、
故倉本長治先生。
1899年の生まれ。
成長の理論をつくり、
チェーンストアシステムという仕組みを構築し、
実体としての運動体を推進したのは、
渥美俊一先生。
1926年生まれ。
この二人の指導者によって、
日本商業は近代化を果たしました。
倉本先生は商業界をつくり、
渥美先生はペガサスクラブを組織しました。
ここからダイエーが羽ばたき、
西友が誕生し、
イトーヨーカ堂が成熟し、
イオンが飛躍しました。
もちろんスーパーマーケットやコンビニ、
ホームセンターやドラッグストア、
幾多の専門店チェーン、
外食産業やサービス業が、
大きく消費局面を切り拓いていきました。
小さいながらも倉本長治の理念を受け継いだ店々は、
その個性を発揮しつつ、力強く生き抜いてきました。
さてこれからの21世紀。
日本の商業はどちらに向かうのか。
海外進出に新天地を求めるのか、
国内では競争激化のなかで寡占化が進行するのか。
私たちは、その複雑な状況を、
整理し、分析し、考察し、
倉本長治や渥美俊一のごとく、
明快に指針を持たねばなりません。
私の模索する「商業の現代化」は、
この問に解を与えるものです。
しかし、もう、渥美俊一先生に、
問うことはできません。
もちろん倉本長治先生にも、
聞くことはできません。
大きく、ぽっかりと空いた穴。
それが現在の心境でしょうか。
しかし今日、渥美先生のご霊前に合掌して、
私は感じました。
「商業の現代化」
ポスト・モダン。
これが、間違いなく、
これからの私たちのテーマ資源であることを。
このテーマに立ち向かうことを決意しつつ、
渥美俊一先生のご冥福を祈りたいと思います。
さて、卸売業の世界でも、
現代化の一端が見えます。
商業とは卸売業と小売業の総称です。
その卸売業の食品分野に、
巨大企業が誕生します。
今朝の日経新聞の「企業総合欄」。
「人工衛星 官民で輸出」を一面トップに持ってくるならば、
こちらを挿げ替えてもいいくらい。
「食品卸4社 統合へ」の記事。
現在、食品卸売業第2位の菱食は、年商1兆3847億円。
そこへ第9位の明治屋商事3134億円、
第10位のフードサービスネットワーク3129億円、
第15位のサンエス2034億円が統合され、
合計2兆2140億円の総合食品卸売業が生れる。
いずれも三菱商事傘下のホールセラー。
菱食は加工食品に強い総合卸売。
明治屋商事は酒類、
フードサービスネットワークは低温度帯食品、
そしてサンエスは菓子。
それぞれに強みが違う。
機能が異なる。
すなわちこれは巨大な売上高を持つ企業への転換だけではなく、
多機能卸売業の誕生を意味します。
スーパーマーケットは、
八百屋、魚屋、肉屋、乾物屋、総菜屋、
そして雑貨屋などの集合体として業態化しました。
コンビニも同じ業種を「便利性」で統合し直して、
業態化しました。
卸売業も同じように多機能化を果たし、
なおかつ巨大な資本力、情報力、品揃え力、物流力を獲得し、
新しい社会的機能を獲得しようとしています。
まさに「卸売業の現代化」が、
表面化してきたことになります。
しかし現代化は、単純ではありません。
例えば「環境問題」に対応しようと考えたら、
小売店舗にとって一番の早道は、
「ダウンサイジング」です。
つまり店舗規模の縮小化。
しかし縮小化だけでは、
お客様の利便にかなう店にはなりません。
二律背反の問題解決が迫られるのです。
それが「現代化」の最大の特徴。
2兆円の巨大多機能食品卸売業の誕生。
これは「商業現代化」の一側面を表しています。
しかし、それだけでは問題解決は図れない。
渥美先生なら何と答えるか。
いつも私はそう自問します。
さようなら、渥美先生。
ふたたび合掌。
<結城義晴>