甲子園高等学校硬式野球も、
ベスト8が決まりつつある。
夏真っ盛りとはいえ、
残るチームがだんだん減ってくると、
夏が過ぎてゆく感じが深まる。
気の所為か、
蝉の声も一段と高く聴こえる。
私は、休暇で、
城崎温泉に来ている。
新幹線で京都へ。
そこから山陰本線で、
兵庫県の北の端。
「城崎温泉」。
志賀直哉の『城の崎にて』でおなじみ。
一度来たかった。
この感覚は、去年の富士登山と一緒。
日本人ならば、死ぬまでに一度は、
とでもいったらよいか。
「よう来んさった!」と浴衣姿で出迎えてくれた。
駅の前には、水汲み場。
蒸し暑い山陰の昼間、
見るだけで涼しさを感じる。
そして島崎藤村の、あまりうまくない字の石碑。
城崎温泉には、七か所の「湯」がある。
駅前には「さとの湯」
街中を歩いてゆくと、
柳に川。
昔の情緒を残す。
川べりの山本屋で地ビールを一杯。
この暑さのなか。
冷たくて、フルーティで、旨い。
街中をぶらぶら行く。
城崎温泉発祥の「一の湯」。
そして一番人気の「御所の湯」。
なぜ一番人気か。
訊ねたら、
「一番新しい湯だから」
味気ないけれど、リアリティ。
そして志賀直哉ゆかりの三木屋。
直哉は、ここに逗留して執筆した。
直哉が散策した宿の裏手の小路。
その川沿いの小路に道祖神。
直哉の好きな川沿い。
これも小さな道祖神。
『城の崎にて』の中で、魚串の刺さった鼠がもがいた川に合流。
「ある午前、自分は円山川、それからそれの流れ出る日本海などの見える東山公園へ行くつもりで宿を出た。「一の湯」の前から小川は往来の真中をゆるやかに流れ、円山川へ入る。或所迄来ると橋だの岸だのに人が立って何か川の中の物を見ながら騒いでいた。それは大きな鼠を川へなげ込んだのを見ているのだ」
「鼠は一生懸命に泳いで逃げようとする。鼠には首の所に7寸ばかりの魚串が刺し貫してあった。頭の上に三寸程、咽喉の下に三寸程それが出ている。鼠は石垣へ這上がろうとする。子供が二三人、四十位の車夫が一人、それへ石を投げる。却々当らない。カチッカチッと石垣に当って跳ね返った。見物人は大声で笑った。鼠は石垣の間に漸く前足をかけた。然し這入ろうとすると魚串が直ぐにつかえた。そして又水へ落ちる。鼠はどうかして助かろうとしている。顔の表情は人間にわからなかったが動作の表情に、それが一生懸命である事がよくわかった」
「鼠は何処かへ逃げ込む事が出来れば助かると思っていた。子供や車夫は益々面白がって石を投げた。傍の洗場の前で餌を漁っていた二三羽の家鴨が石が飛んで来るので吃驚し、首を延ばしてきょろきょろとした。スポッ、スポッと石が水へ投げ込まれた。家鴨は頓狂な顔をして首を延ばした儘、鳴きながら、忙しく足を動かして上流の方へ泳いで行った」
「自分は鼠の最期を見る気がしなかった。鼠が殺されまいと、死ぬに極まった運命を担いながら、全力を尽して逃げ廻っている様子が妙に頭についた。自分は淋しい嫌な気持になった。あれが本統なのだと思った。自分が希っている静かさの前に、ああいう苦しみのある事は恐ろしい事だ。死後の静寂に親しみを持つにしろ、死に到達するまでのああいう動騒は恐ろしいと思った」<『城の崎にて』より>
その道祖神やお地蔵様を描き続けた画家・故椿野ひろしの画廊。
回顧展が開催されていた。
そして、カップルの道祖神。
暑い暑い城崎漫遊。
結城義晴の夏休み。
気分を少しだけ、
皆さまに、おすそ分け。
もちろん夏の城崎の湯も、格別。
その湯はお裾分けできないけれど。
<結城義晴>