台風9号が北九州に上陸。
私は朝のANAで、鹿児島へ。
商業界九州ゼミナール鹿児島大会。
基調講演。
民主党代表選挙、どんどん煮詰まってきている。
それにしても、マスメディアの世論調査。
500サンプルだとか1000サンプルで、
菅直人が圧倒だとか、
小沢一郎が苦戦だとか。
これが視聴率や講読数を伸ばす販促のひとつだから、
毎日毎日、大騒ぎ。
しかし視聴者や読者は知らず知らずのうちに刷り込まれる。
危険極まりない。
いい機会だから、
自分自身の判断で、自分自身の見解で、
次のリーダーが決まるその瞬間まで、
見つめる必要があると思う。
さて昨日は、
「渥美俊一先生のお別れの会」
11時半から東京のグランドプリンス赤坂五色の間で開催された。
密葬は、近親者だけで7月の24日に行われているが、
昨日は多くの人が先生とのお別れの会に参加した。
朝11時前から、既に人々が集まり始め、
開会時間の前には、長い行列ができた。
人々は、ひとりずつ花を手に取り、
献花して、拝む。
読経もなければ、宗教的儀式もない。
弔辞もないし、喪主挨拶などもない。
淡々と献花して、合掌する。
その人波が続いた。
遺影に献花すると、
主催者にご挨拶。
左から、喪主で長男の渥美俊英さん。
真ん中が、奥様の渥美田鶴子さん。
㈱日本リテイリングセンター事務局長、そして新しい代表。
右が、日本チェーンストア協会会長の亀井淳さん。
ご存知、イトーヨーカ堂社長。
今回の「お別れの会」は、
渥美先生が代表取締役だった㈱日本リテイリングセンターと、
ずっと相談役だった日本チェーンストア協会の共催。
だから亀井さんは主催者。
亀井さんが会長のときで良かった。
ご挨拶を終えると、参会者は、
思い思いに懇談をする。
私が、心から恐縮しつつ「化け物級」と呼ぶ人々。
右から、ライフコーポレーション会長の清水信次さん。
渥美先生と同年同郷の大正15年、三重県生まれ。
そのお隣が、イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊さん。
㈱セブン&アイ・ホールディングス名誉会長。
大正13年のお生まれ。
この中では最年長。
お元気。
真ん中は、イオン㈱名誉会長相談役の岡田卓也さん。
大正14年のお生まれ。
渥美先生のひとつ上。
もちろんお元気。
そのお隣は、ユニー㈱特別顧問の西川俊男さん。
西川さんも大正14年。
そして元ダイエー専務の打越祐さん。
打越先生は渥美、清水年代の大正15年。
皆さん、商人舎発足の会発起人に名を連ねていただいていて、
私が礼を失することは絶対にない。
これは渥美先生の教えでもある。
「結城君の活躍に期待する」とのお言葉をいただいた。
身の引き締まる思い。
その後、多くのみなさんと懇談。
亀井会長、荒井好民先生とは、
ウォルマート談義を。
㈱平和堂社長の夏原平和さんとは、
コーネル大学RMPジャパンの話を。
参会者がそれぞれに、
渥美先生の思い出を語り、決意を新たにした。
会場のコーナーでは、
先生の著書群が陳列されていた。
時代時代に、単行本でも、
渥美先生は業界をリードした。
その軌跡がここにあった。
表紙だけ見ると、最もインパクトのある本。
ペガサスセミナーのテキスト群も陳列されていた。
「渥美理論」といわれるが、
この膨大なテキストの体系が、その「渥美理論」そのもの。
この前に立つと、
「渥美理論とは?」など語ることが恐くなる。
それほどに膨大な体系。
それが渥美俊一の本質。
出入り口にはペガサスクラブの旗。
ペガサス旗を守るように梅村美由起さんが立つ。
長く渥美先生の秘書を務め、
現在、㈱日本リテイリングセンターチーフリサーチャー。
そして会場の片隅に、
「ペガサスのガラス彫刻」
この世に、同じものが7つある。
ひとつは渥美先生ご自身の所蔵。
ひとつは故中内功さんに贈られた。
ひとつは堤清二さんに、
ひとつは伊藤雅俊さんに、
ひとつは岡田卓也さんに。
あとのひとつは、
桜井多恵子さん。
桜井さんは日本リテイリングセンターマーケティングコンサルタントで、
渥美先生の後継者。
最後のひとつは結城義晴が所蔵する。
恐れ多いことに、私の手元にも、実は、
これと同じものがあるのです。
2002年8月、㈱商業界専務取締役に就任した時に、
渥美先生からお贈りいただいた。
私は、有難く、しかも率直に、頂戴した。
参会者全員に栞が贈られた。
「生きた、述べた、愛した」と題字された小冊子。
「渥美俊一」自署。
開くと、渥美先生の遺影。
若々しい。
手にパイポを持っているから、
タバコを止めるときのものだと思う。
酒は一切飲まなかったが、
タバコはヘビースモーカー。
そのタバコも、心臓の病気が出た時分に、止めた。
次に「略歴とペガサスクラブとJRCの歩み」。
「著書の歴史的発展」。
そして草柳大蔵氏の文章。
「革命軍の多数派と少数派」
大宅壮一・渥美俊一対談。
「“三越・大丸“何するものぞ!」
両方ともすごい。
小売業・商業が歴史的に復権する瞬間が描かれている。
そして88人の人々の「お別れの言葉」が、
あいうえお順に掲載されている。
もちろん私も書いた。
タイトルは「店見るたびにみるたびに」
後ろの方のページに渥美先生の生誕からの写真集。
左下は、還暦のお祝い。
右上はシュノーケリングしているところ。
良い冊子だった。
良いお別れの会だった。
渥美俊一先生は、
もう、いない。
私たちは、自分で考え、自分で行動しなければならない。
当然のことだけれど。
最後に、渥美先生の残した言葉。
「生きた、述べた、愛した」
合掌。
<結城義晴>