昨日、ロンドンからユーロスターに乗って、
ドーバー海峡の下をくぐり、
パリに到着。
ロンドンもいいけど、
パリもいい。
「パリを見ずして死ぬなかれ」だったか、
そんな言葉があったような気がする。
死ぬまでに一度はパリを見よ。
それほどにパリは、いい。
しかしブログはまだロンドン。
「誰がウォルマートを殺すのか?」と同様に、
テスコなどの詳細な分析は、
帰国してからとなってしまいそうだが、
気持ちがホットな今のうちに、
ハロッズだけは写真でお届けしておこう。
イギリス最高峰の百貨店。
いや、世界最高峰の百貨店。
アメリカでも日本でも、
百貨店の統合やM&Aが盛んだが、
私は、それにはあまり意味はないと思う。
もちろん経営管理面や人材面でのメリットは出よう。
しかし店舗数が増えることや、
売上高が拡大することは、
むしろ百貨店にはデメリットとなる。
ハロッズがそれを証明している。
ナイツブリッジにあるハロッズ百貨店。
その食品売場の天井。
シャンデリアの天井。
目を落として、床。
そして、食べさせる。
ここでも食べさせる。
もっと食べさせる。
これでもかと、食べさせる。
さらに食べさせる。
そして、大理石の什器で、
宝石のように食品を売る。
照明をあてて宝石のように売る。
宝石のように並べて売る。
大切な宝石のように。
宝石のように。
ハロッズは、ロンドン中心部のナイツブリッジのブロンプトン・ロードに面する。
店舗は4.5エーカー(18,000㎡)の敷地に、
100万平方フィート(92,000㎡)以上の売場面積。
モットーはOmnia Omnibus Ubique。
「あらゆる商品を、あらゆる人々へ、あらゆる場所へ」。
とりわけ、クリスマス限定売場や食料品売場は、
その商品の豊富さで知られている。
歴史を簡単に紹介しよう。
1835年、お茶の貿易商チャールズ・ヘンリー・ハロッドが、
自宅向かいに小売店を始めた。
1849年にブロンプトン・ロードに移転。
その後ウェストミンスターに接する町の中心部ナイツブリッジに、
大型店舗として出店。
1861年に、息子のチャールズ・ディグビー・ハロッドが経営トップに。
1883年の店舗火災を機に大規模改装する。
1889年、創業者チャールズの死後、株式を公開。
しかし、1959年に、
イギリス企業ハウス・オブ・フレイザーによって買収され、
次いで1985年にモハメド・アルファイドの兄弟によって、
6億1500万ポンドで買い取られ、
さらに2010年にカタール政府系の投資ファンドによって、
約15億ポンド(推定)で買収された。
現在、ハロッズ名誉会長を務めるモハメド・アルファイドの息子は、
かの有名なドディ・アルファイド。
ダイアナ妃とともにパリで自動車事故で死亡した。
ハロッズは、エリザベス2世の生活用品や食料品など、
長い間、皇室御用達の百貨店としての役割を担ってきた。
しかし、ドディとダイアナ妃の死後、
その関係は冷え込んでいるといわれる。
三越百貨店の創業者の一人・日比翁助(ひび おうすけ)は、
ハロッズをモデルに、
当時としては斬新なルネサンス様式の店舗をつくったといわれる。
いまも、三越各店では紅茶などの食品やハロッズオリジナルグッズを販売する。
野菜も宝石のように売る。
かご盛りのギフト用の果物。
じゃがいもなどの根菜類と葉物も立体的に陳列。
食品を際立たせるように緑で効果的に演出する。
魚もちろん、生きた宝石のように。
肉やソーセージも宝石のように。
お客は宝石箱をのぞいて、楽しんでショッピングをする。
ジャパンフードのコーナー。
従業員はネクタイを締めて、お客に対し、紳士のようにふるまう。
冷凍食品の売場も同じ。
日本の百貨店のように、名店をかき集めて、
他人の力で売場をつくるのではない。
スーパーマーケットと同じ、
人間の食生活を売る。
それも飛び切り上等の食生活。
だから冷凍食品もおろそかにしない。
缶詰が並ぶ売場。
照明が輝き、高級感あふれる売場。
チョコレートはまさに宝石のよう。
ギフト商材コーナー。
ラッピングを受け付けるサービスカウンターもある。
お客は好きなギフト資材を選び、ラッピングしてもらう。
もちろん、購入できる。
ハロッズだけの紅茶売場。
ドリンクコーナー。
最後にハロッズの象徴。
ハロッズは、見事なポジショニングを築いている。
超高級百貨店というだけでなく、
「この世に我のみ」のポジショニング。
ハロッズがあるからテスコも、セインズベリーも、
マークス&スペンサーも、
意味が出てくる。
そしてテスコがあるから、セインズベリーがあるから、
マークス&スペンサーがあるから、
ハロッズの存在意義が出てくる。
テスコだけでは、ハロッズだけでは、
イギリスのお客は豊かな生活はできない。
それがポジショニングなのだ。
<結城義晴>