「国会は言論の府のはずが、
このところ口論の府になり下がっていないか」
朝日新聞『声』欄の投書を『天声人語』が取り上げた。
「たしかに実のある議論は少なく、
ののしりの声ばかり大きい」
テレビの影響か、衆愚世論の反映か。
酒場の酔っ払いの政治論議もどきが、
日本国国会で展開されている。
イギリス議会の論戦など見ていると、
つくづくそれを感じる。
しかし、政治家ばかりにこの責を負わせるわけにはいかない。
私たちの社会全体のことだと受け止めねばなるまい。
私たち自身のなかに、それが巣くっているのだと。
イギリスの鉄道や地下鉄の乗客には、
新聞を読んでいる者が多い。
読む習慣と能力は、
考える習慣と能力に比例する。
考えずに、口に出すことが多い。
だから「口論」となる。
『広辞苑』によると、「言論」は
「言語や文章によって思想を発表して論ずること」。
根底に「思想」がなければ、
「口論」になりやすい。
以って自戒とすべし。
さて、昨日、一昨日と、
顧問先の丸まる2日間の事業報告会議。
その会議は初めてiPadを使って行われた。
したがってペーパーレス。
これが意外な効果をもたらした。
まだまだ改善の余地はおおいにある。
しかし膨大な紙の資料が配られ、
それを読み合わせるようにして進行される会議は、
行き過ぎると時間の無駄にすぎなくなる。
iPadの画面にふさわしい分量と体裁の資料群は、
まだまだリニューアルが要求されるが、
コンパクトでシンプル。
だから、会議に参画する者は、
「考える」時間を提供されるようになる。
膨大な紙の資料はともすると、
「口論」の「口による争論」のごとき暴力性を持つ。
iPadによる資料とプレゼンテーションは、
「思想」を論ずるごとき「思考」の世界に人々をいざなう。
もちろん、その「思想」と「思考」の水準が、
常に進化していなければ、
やがてこの新しいツールも、
紙以上に膨大な暴力的「口論」の武器に、
変貌してしまうだろうが。
人々がものを考えるという志向で、
ITツールが活用される。
そしてそれが瞬時にデータベース化される。
こんなに素晴らしいことはない。
私は実際に使ってみて、感じた。
「ITほどチェーンストアに相性のいい道具はない」
もちろん、「××とはさみは使いよう」というがごとく、
ものを考える水準を上げる方向で活用されなければ、
「言論」が「口論」に堕してしまいつつあるかに見える日本国国会と同じ。
その空気を醸成しているだろう日本社会と同じ。
うまく使えば、「思考」のレベルは、
格段に飛躍する。
ドラッカー先生が生きていたら、
これをどう評するだろうか。
そんなことを考えた。
<結城義晴>
[追伸]
今日の「新着ブログ」Today!に二つ。
一つは「杉山昭次郎の流通仙人日記」の新論文。
「本格的スーパーマーケットの“店づくり”」。
淡々とした杉山節、いいですね。
もうひとつは「林廣美の今週のお惣菜」。
第116回「カニ風味入り いなり寿司」。
これはおいしそう。
今週は火曜日が「勤労感謝の日」でしたが、
毎日このブログおよびホームページに来て下さったことに、
感謝します。
ありがとうございました。
今週にはより良い決着をつけて、
心地よい週末をお過ごしください。