朝日新聞のコラム『経済気象台』。
ものを考えさせてくれる。
日経の『大機小機』と比べると、
ゆったりとしているが、深い。
今日のタイトルは「デジタル技術」、
コラムニストは樹氏。
「長く続いたアナログ技術がデジタル技術に置きかわり、
ビジネス環境は大きく変化した」
実によくわかる。
そしてアナログ技術の時代とデジタル技術の時代では、
競争の軸が大きく変わる。
「アナログ技術が主流の時代は技術格差が大きく、
日本は優れた技術大国となった」
アナログ技術は追いつきにくく、
逆転しにくい世界だった。
㈱菱食特別顧問の廣田正さんの持論。
「後進の先進性」。
遅れていた者ほど、思いのほか障害を低くして、
最新の技術を導入することができる。
それはむしろ既存の進んだ者よりも、
先進的ですらある。
㈱プラネット代表取締役社長の玉生弘昌さんの見解。
「後発の優位性」。
プラネットは、日用雑貨や化粧品の分野のEDIを受け持つ。
EDIとはエレクトロニック・データ・インターチェンジ。
製造業と卸売業の取引をインターネットでつなぐ。
まさに日本産業社会のインフラのひとつ。
デジタル技術時代の申し子のような会社だが、
その玉生さんが語る「後発の優位性」にはリアリティがある。
経済気象台の樹氏は語る。
「デジタル技術は技術移転(コピー)が簡単で、
追い上げが容易だ」
これが、ほんとうに怖い。
コピーが簡単だから、
後進は先進にとって代わり、
後発は優位に立つ。
歴史的にみると、「ラッダイト運動」があった。
私の著書『メッセージ』。
「歴史の皮肉」という文章がある。
さかのぼること200年。1811年の暮れ。
イギリス・ノッティンガムシアというところで、
1000台のくつ下編み機械が暴徒に破壊された。
この“機械打ち壊し運動”は、
産業革命のさなかのイギリス全土に、
広がっていくかとみられた。
ラッダイト運動と呼ばれた。
しかし、失業や賃金低下を恐れた手工業者、
マニファクチュア労働者のこの運動は、
彼らが自ら繊維工業機械を打ち壊したために、
時代とともに改良が進んでいた生産性の高い新型機械への、
切り替え導入を早めさせた。
そして、ますます彼ら自身の存在の意味を、
失わせることとなった。
大衆消費社会の訪れと、その時代が要求する生産性。
この流れに逆らったために起こった歴史の皮肉である。
<第8章『時流』より>
200年後の今、
かつての手工業はアナログ技術になるか。
新型機械工場がデジタル技術になるのか。
コラムニスト樹氏は続ける。
「ガソリン車から電気自動車への転換は、
自動車製造技術のデジタル技術化でもある」
このデジタル技術は、しかし、
「技術移転」の宿命を背負っている。
私の言う「コモディティ化現象」は、
デジタル技術の時代にさらに加速化する。
米国ゼネラルエレクトリック会長のジェフ・イメルト。
「コモディティ・ヘル」と嘆く。
つまり「コモディティ地獄」。
「技術によって競争相手を振り切れなくなった」
このイメルトの発言の背景に、
デジタル革命がある。
樹氏は、結論付ける。
「21世紀、デジタル化された知識と情報こそが、
企業にとって最重要資産となるであろう」
ピーター・ドラッカー先生は、
「21世紀のポスト資本主義時代」を、
「知識社会」と読みとった。
樹氏は、デジタル化した「知識と情報」こそ、
最優先すべき資産という。
ところで、「デジタル化した知識と情報」による競争は、
行きつくところ、人間そのものの競争となる。
ドラッカー先生は。
「知識経営者、知識専門家、知識労働者」といった。
私は『お客様のためにいちばん大切なもの』の中で、
「知識商人」と呼んだ。
知識は、ラッダイト運動のように、
先進性を打ち壊したりしない。
知識は先進を吸収し、包含し、
そのうえにイノベーションを積み上げる。
もちろん、商品においては、
アナログ的な要素は、
ノンコモディティの価値を有する。
だからアナログがすべて否定されるわけではない。
クラシックカーやレコード盤を愛好する顧客は存在する。
アンティークの家具や古茶碗には価値がある。
桃井かおりは名言を吐く。
「蛇は古いほどいい」
しかし競争を優位に立たせるのは、
デジタル化された知識と情報。
知識経営者であり、知識専門家であり、
知識商人である。
ああ、今日で、2010年11月が終わる。
<結城義晴>