今日は2月3日の節分。
しばらく前までは、
豆まき中心。
今は、それに加えて、
恵方巻。
童謡では、
鬼はそと、福はうち
パラッ パラッ パラッ パラッ 豆の音
鬼はこっそり逃げていく
細野晴臣作詞作曲の歌は、
入れ入れ門から 家のなかへ
入れ入れ門から 福の神
願ったりかなったり 鬼は外
これとばかり 福は内
明日が立春で、
節分は、季節を分ける節目。
この季節の変わり目には、
邪気が生じると考えられていた。
邪気を象徴するのが「鬼」。
だから、それを追い払うために、豆をまく。
豆まきは、「悪霊払い」の行事として行われた。
欧米では、「エクソシスト」の悪魔払い。
相撲の儀式も、いわば邪気払いであった。
その「大相撲の八百長」。
押収された力士の携帯メールで、
証拠が上がってしまった。
「八百長」の由来は、
明治時代の八百屋の「長兵衛」さんの通称にあるというから、
私たちにも縁がないわけではない。
八百長さんは、大相撲の伊勢ノ海親方とは碁仲間だった。
ただし親方が日ごろのお客だったために、
囲碁ではわざと負けたりしていた。
しかし八百長さん、時の本因坊秀元と互角の勝負をしてしまって、碁力が判明。
以来、「真剣に争っているように見せながら、
事前に打ち合わせた通りに勝負をつけること」が、
八百長といわれるようになった。
しかし、ウィキペディアなどには、
大相撲の八百長はもう公然と、
「当たり前」のごとく書かれている。
この世界は二分されている。
「注射派」の相撲取りと「ガチンコ派」の力士。
前者は八百長派、後者はアンチ八百長派。
二代目貴乃花や大ノ国は、
典型的なガチンコ派として有名。
千代の富士や朝青龍には、
「注射派」の疑念がかけられている。
テレビや新聞の記者は「先刻承知ノ介」。
だから何を騒いでいるのかと、私など見てしまう。
騒ぐなら八百長そのものでなく、
携帯メールで見つかったことだろう。
しかし、これだけははっきりと言っておこう。
私は「ガチンコ派」支持者だ。
だからガチンコ派が頑張っている限り、
大相撲全体が駄目になるとは思わない。
朝日新聞の名物記者・西村欣也のごとく、
正義感だけでものを断じたりはしない。
プロレスと大相撲、
プロ野球とプロサッカー。
マスコミは、
すべてを扱う。
しかし同じ土俵、同じリング、
同じグランド、同じフィールドに、
すべてを上げてはいけない。
それぞれに歴史があり、
世界観があり、
それぞれに役割がある。
存在するものすべてに意味がある。
これが私の考え方だ。
今朝の日経スポーツ欄『豊田泰光のチェンジアップ』
彼がこよなく愛する野球に、
サッカーと比べてグローバルな広がりがないこと、
そして「広める」努力を、
野球界が怠っていることを指摘している。
このコラムの横に、
大相撲八百長の記事。
「相撲界の豊田泰光」が、
もっともっと発言しなければならない。
さて、日経新聞『大機小機』。
コラムニスト桃李氏が大上段で書いている。
タイトルは「日本国とリーダーの資質」
「小泉純一郎元首相が長期政権を維持できたのは、
明確な方向性を示す強いリーダーシップの故であった」
「国家百年の計に長期戦略を持って
果敢に取り組むリーダーの存在こそが国力である」
「将来を見越して今は理解者が少なくても実行すべき施策を実行し、
次世代になって初めて評価されるリーダーの存在が必要なのは、
国も企業も同じである」
「そのために不可欠な資質は無私の精神であり、
周りはそれを敏感に感じ取る」
「そのようなリーダーのいる国や企業は発展し、
そうでない場合には衰退する」
「無私の精神で理想を追求し、
評価を後世に委ねる多数のリーダー」
こんなリーダーの存在が、
日本の再勃興にも企業の再生にも、
運動体のダイナミズムにも、
不可欠である。
さて昨日は、朝から東京・市ヶ谷。
UIゼンセン同盟本部。
流通部会の「産業政策フォーラム」が開催された。
全国から、労働組合の委員長クラスが146人も集まった。
まず、流通部会事務局長の上村敏朗さんの開会のごあいさつの後、
産業政策委員会委員長の新妻健治さんが、
開催の趣旨を丁寧に説明。
新妻さんはイオングループ労連委員長でもある。
13年ぶりにつくられた「第5次流通産業政策」。
そのスローガンは以下。
「人間が人間らしい生き方ができる社会の実現を、
人間そのものを資本に、それをさせる産業として・・・」
全114ページの本篇に41ページの資料編が添えられた優れもの。
それに加えて38ページのブックレットが配られた。
黄色い表紙の小冊子には、タイトルがある。
「流通産業近代化のパラダイムから現代化を目指して」
昨年9月28日に、私が講演したものが、
見事な小冊子になって、添えられた。
これはうれしかった。
新妻さんの後で、産業政策委員会事務局長の佐々木啓真さんが、
新産業政策のコンテンツとダイジェスト版を、
これも丁寧に解説。
そして私の講演。
テーマは「商業の現代化と新産業政策」
この「新産業政策」を、
「まず、隅々まで読むこと」
読み飛ばしてしまってはいけない。
「次に、使うこと」
「使って使って使い切る」
運動の道具とすること。
私は1989年1月に、㈱商業界の『食品商業』編集長となった。
その時から、『食品商業』を“使う雑誌”と呼び、
“使う雑誌“として作り続けた。
このUIゼンセン同盟流通部会の「新産業政策」は、
読まれた上に、使われねばならない。
それが産業の現代化を推進し、
労働運動の進化をもたらす。
私の話は、熱い志をもつ人々が聴いていると、
ますます熱くなる。
今や、不思議なことに、
労働者の集まり、労働者のリーダーは、
経営者の集団以上に、
産業全体への視野をもつ。
まさに「鳥の目」「魚の目」をもつ。
「鳥の目」は、大局を見る力。
全体像を俯瞰しながら、「見渡す能力」。
これを支えるのが、情報量と知識。
「魚の目」は、流れを見る力。
時間の経過の中で、現在と未来を「見通す能力」。
これを支えるのは、経験と見識。
私は経営者も労働者も、
ともに「鳥の目」「魚の目」を、
もってもらいたいと思う。
ピーター・ドラッカー先生は、
知識社会には、「知識経営者と知識労働者」が活躍すると言った。
私は流通業・サービス業では、
両者が融合して「知識商人」となるに違いないと思う。
もちろん立場は違う。
しかしお客様に向かうとき、
ナレッジ・マネジメントもナレッジ・ワーカーも、
同じくナレッジ・マーチャントになれる。
それが「この産業の優位性」であるとさえ、考える。
講演終了後に、新妻さんと写真。
後ろは、流通部会副事務局長の木暮弘(ひろむ)さん。
小暮さんが、すべての段取りをしてくれた。
よそよそしいので、
もう一枚。
ありがとう。
「知識商人による流通産業の現代化」を目指して、
「最初にすべきことから始めよ」
今月の商人舎標語。
「入れ入れ門から 福の神」
<結城義晴>