予測されていたことではあるが、
とうとう大東京の水に放射能。
昨日の23日、東京都の金町浄水場の水道水から、
放射性物質が検出された。
1キログラム当たり210ベクレルの放射性ヨウ素。
これは乳児向け暫定規制値100ベクレルを上回る。
都は、「1歳未満の乳児に水道水を飲ませることを控えるよう」求めた。
福島第一原発の事故の影響であることも指摘。
このニュースが流れると、瞬時に、
スーパーマーケットやコンビニの店頭では、
水のペットボトルが売り切れた。
例の「買い溜め亡者」の登場。
暫定規制値を超える放射性物質が検出された農産物の件でも、
過剰な反応が広がった。
今朝の朝日新聞『声』の欄。
読者からの投稿がある。
千葉県松戸市の梅北兼正さん。無職、76歳。
「乳幼児を抱えたお母さんの不安は分からなくはありませんが、
気にしないという人もいるはずです」
「ヨウ素がついた野菜は水でよく洗えば落ちると聞きます。
危険にただおびえるよりも、何の落ち度もない農家を
泣かせない道を選びたいと思います」
「もし風評被害に泣く農産物がありましたら、
流通業界の方々は産地を明示した上で
店頭に並べて下さいませんか」
「物流コストの問題や売れ残りの心配もあるでしょうが、
世間には『よし買おう』という人も少なくないと思います」
「少なくとも、私は買います」
勇気ある発言だ。
昨日のこのブログで書いた、
学習院大学院長だった故田島義博先生と同じ意志。
その朝日新聞「オピニオン」欄。
静岡県知事の川勝平太さん。
2007年に静岡文化芸術大学学長に就任し、
その後、知事に転身した。
静岡には浜岡原発がある。
「短期的にも長期的にも、
一般の人々の科学力・技術力への関心を、
格段に高めねばなりません」
学び、学ばせるということ。
「無知は恐怖の源です」
「原発事故が起きたのは、
科学的予見が外れたことと、
技術の不具合によります」
「それを克服するのも科学であり、技術です。
太陽光発電への切り替えも科学・技術がいります」
「災害についての科学的知識と防災の技術的ノウハウを高めれば、
いざという時も風評に惑わされず、冷静に対応できます」
風評被害には、
知識と情報で対抗する。
これ以外にない。
ピーター・ドラッカー教授が提唱した「知識社会」は、
こういったところにも現れている。
では私自身は、
放射性物質が検出された水や食物を、
飲むか、食べるか。
福島第一原発事故に立ち向かったハイパーレスキュー隊員、
それに東電社員、自衛隊員や米国海兵隊員の勇気を思えば、
臆病者の私だけれど、食べるし、飲む。
そのための知識と情報を収集するし、発信する。
いま、不屈の日本人は、だれもが、
レスキュー隊の勇気と心意気とをもたねばならないと思う。
その勇気で風評被害と闘わねばならないと思う。
「無知こそ恐怖の源」
「わからないからこわくなる」
「知らないから恐ろしくなる」
だから「風評被害には、
知識と情報で対抗しよう」
さて、先週土曜日の19日から3日間。
㈱ダイナムホールディングス社長(㈱ダイナム会長)の佐藤洋治さんが、
東北の被災地の三陸まで入った。
写真は、北上川。
ダイナムホールディングスは、全国に、
パチンコホール「ダイナム」など342店と、
ファストフード「めん六や」323店を展開。
平成22年度連結決算年商8246億円、
従業員は1万6601人に及ぶ。
宮城に13店、福島16店、岩手7店、
茨城にも16店、出店している。
佐藤さんはトップマネジメントとして、
すぐさま動いた。
震災発生8日後に、
被災した現場を訪れ、
社員・従業員を励ましたのだ。
19日、山形空港までJALの臨時便で飛び、
そこからレンタカーで宮城に入り、
仙南の名取美田園店、名取店を訪れ、
仙台統括事務所に設けられた現地対策本部に入った。
3月11日には東京・日暮里の本社に、
緊急対策本部が設置され、その折に、
現地対策本部もつくられていた。
最後は気仙沼にまで到達し、
この地の自社店舗を視察。
家が水の中に孤立している。
人家は枠組みと屋根しか残っていない。
津波は海岸縁だけでなく、奥まったところまで襲来した。
だからここまで瓦礫(がれき)の山。
鉄筋・鉄骨の建物の外壁しか残っていない。
両サイドの人家もこのとおり。
鉄骨2階建て建物の2階に、
津波に流されてきたトラックがぶら下がっている。
佐藤さんは述懐する。
「想像以上の惨状に胸が打たれました。
矢本から石巻・気仙沼までの光景は、
日常とは全く違う荒廃した世界がつながっていて、
この中に長時間いたら・・・と、
思うとやり切れない気持ちでいっぱいになる」
「一日も早く、この地域の人々の疲弊した心を癒し、
生きる勇気と活力を取り戻してもらいたい。
そのために、私たちの業界は何ができるのか、
今何をしなければいけないのか、
ダイナムは何をすべきかを、
車中で思案していました」。
国道4号線の両サイドは、
完膚なきまでにやられた。
道路左に西松屋チェーン。
右のコナカ。
ケーズデンキの駐車場も泥だらけ。
ダイナムの店舗前にも、
津波で流されてきた木材が散乱する。
それでも、硬質木材で組み上げられた店舗は残った。
店舗前はヘドロに囲まれているけれど。
フードサービスの「めん六や」の「めん太郎」も、
店は残った。
最も被害の大きかった街の気仙沼店は、
高台にあったために意外に被害が少なかった。
福島のキャビンプラザでは即席のトイレを開放した。
ダイナムは1995年の阪神大震災を経験した。
2006年の新潟県中越地震も体験した。
その経験から、
「店を開けよう」を、
基本方針とした。
キャッチフレーズは「がんばれ!!東北」
「店を開けることは従業員にとって、
お客様にとって、いいこと」
佐藤さんは語る。
「被災されて何もしないでいると、
みんな放心状態になってしまう。
だから何か行動目標をもつ必要がある。
店が開かなければ、
ボランティアに行きなさいと指示してきた」
店は、人が集まる拠点である。
だから、非常時には役目が生れる。
今回、宮城県の女川原発は、
避難所になっって、多くの被災者を迎え入れた。
地元の人々は、「ゲンパツさん」と呼ぶ。
ピーター・ドラッカー教授の「ポスト・モダンの七つの作法」。
その一、「見る・聞く」。
東北関東大震災も、
実際に体験した人、見た人、
そして行動した人の判断こそ正しい。
まず「見る・聞く」ことが、
知識と情報の源である。
風評被害と闘うことは、
見る・聞くの行動力から、
始まるのである。
<結城義晴>