6月10日、
安川光男さんが亡くなった。
昭和28年12月6日生まれ、
享年58。
吉野ストア㈱代表取締役社長。
私が㈱商業界の社長を務めていたころ、
アメリカ視察セミナーが開催されて、
初めて安川さんと出会った。
明るくて、好奇心旺盛で、型破りで、
それでいて繊細な経営者。
私たちはすぐに意気投合した。
シアトルでは、
マリナーズのメジャー・リーグを観戦した。
満員のスタンド。
イチローがホームランを放って、
私たちを歓迎してくれた。
ゲームが終わって、
出口に向かって観客がごった返す中、
安川さんだけ行方不明になった。
みな、心配したが、
仕方なくホテルに戻った。
安川さんは一人だけいち早く帰っていて、
ニコニコしていた。
それから安川さんとの交流が始まった。
スーパーマーケットトレードショーの会場で会った。
寺岡ニューバランスフェアの講演会を聴きに来てくれた。
私は何度も、「店を見に行きます」と言った。
それから3年ほどして、2008年秋、
㈱商人舎の第2回アメリカ視察研修会。
私は安川さんに団長をお願いした。
型破りの経営者で、
ちょっと心配だったが、
見事、団員をまとめてくれて、
団員の意見を私に伝えてくれた。
スピーチも上手で、
キリリと締まった特徴的な研修会となった。
解団式のとき、
固い握手をして別れた。
安川さんは、
「吉野の桜、ぜひ、
見に来てください」
その言葉が、今年の4月に実現した。
安川さんから突然、電話が入った。
「今週末に宿をとりました。
吉野に来てください」
私は率直に、この厚意を受けた。
吉野桜の「一目千本」。
感動した。
吉野ストアにも訪れた。
安川さんがつくり上げた結晶のような店。
ここでも私は感動した。
意欲的な若い取締役が育っていて、
好感が持てた。
「吉野のお客さんのことを、
誰よりもよく知っていて、
誰よりも自分の顧客に奉仕しようとする店」
そんなスーパーマーケットを目指してほしい。
吉野を去る日、
安川さんと電話で話した。
「明日、手術をします。
大丈夫です」
私は安川さんに色紙を書いた。
朝に希望、
昼に努力、
夕に感謝。
ひとつずつ、
すこしずつ、
いっぽずつ。
それ以降も、安川さんは胃癌と闘い続けた。
2年2カ月の闘病だった。
そして逝った。
心から哀悼の意を表したい。
今朝、私は羽田から福岡へ。
空路、近畿地方あたりにさしかかったころ、
黙祷し、安川さんのご冥福を祈った。
合掌。
さて、日経新聞の経済欄コラム『大機小機』
コラムニストの癸亥氏が、
「日本の株が安い理由」と題して書いている。
「東京株式市場の時価総額は、
バブル末期の1989年末が611兆円、
東日本大震災直前の今年2月末が329兆円」
「市場規模は半分程度にまで縮小」
その理由を三つあげる。
第1は、「企業の責任」。
「大企業の事業資産当たり営業利益率は、
この10年間の平均で4%を下回る。
ここから租税負担を控除すると、
同純利益率は2.4%に届かない」
「多くの企業は没個性化し、市場並みに振る舞っている」
「競争企業をあえて後追いせず、
技術力、経営力で世界を席巻する個性的企業」
「天才への渇望」をコラムニストは指摘する。
「優等生は年を経ずして凡庸に戻る。
しかし、天才は時を超越する。
天才を輩出してこそ、日本市場に覇気が戻ろう」
コラムニスト癸亥氏は第2に、
「投資家にも責任がある」という。
そして第3に、
「政府にも責任がある」と追い打ちをかける。
企業、投資家、政府。
みんなに責任があり、
天才の出現が沈滞の突破口となるというのだが、
こんな論には意味がない。
平凡な人々が平凡に仕事して、
非凡な成果を上げる。
その仕組みをつくる。
サム・ウォルトンが言い放った言葉だが、
私も含めて凡庸な人々の価値ある仕事ぶりにこそ、
私たちは大きな期待と夢を抱くべきである。
もしも凡庸な人々の努力の結晶が、
株価に反映しないとしたら、
株式市場の存在にもまったく、
意味はない。
<結城義晴>