なでしこジャパン8強入り。
女子ワールドカップサッカー1次リーグB組で、
メキシコに快勝。
キャプテンの沢穂希選手(32歳)は、
みごとなハットトリック。
一方、こちらもベスト8のU17ワールドカップ。
若き日本のイレブンが18年ぶりに世界8強に入った。
チーム一丸の多彩な攻撃でニュージーランドに大量6得点。
失礼な言い方だが、
日本のサッカーは、いまだ、
「女子供」のほうが強い。
2011年の日本社会の縮図なのかもしれないが、
日本社会「女子供」にリードされている。
別に悪いことでは全然ない。
小売業やサービス業のマーケットも、
女子供に先導される。
家族がある。
財布を握るのは主婦。
そして主婦は子供を最優先する。
亭主は、それに引きずられる。
女子供に牛耳られる。
カップルがいる。
大抵は彼女が彼氏を引っ張る。
高齢のカップルでも、
おばあさんがカクシャクとしていて、
物忘れの激しいおじいさんの面倒を見ている。
ファッション店でも、
フードサービスでも、
アミューズメント・サービスでも、
女性と子供の心をつかんだら、
商品はヒットし、店は繁盛する。
昨日も引用したがピーター・ドラッカー。
1964年の著書『創造する経営者』。
原題は「Managing for results」
上田惇生先生はこの言葉を「成果を上げる経営」と訳しているが、
本のタイトルは『創造する経営者』となった。
この時代、マネジメントの本は、
経営者しか読まなかったからだろう。
1964年は昭和39年で、
この時代の商業界ゼミナールは、
主として店主・経営者のためのものだった。
この本の内容をドラッカーは一言で、
「事業戦略についての世界で最初の本」といい、
「何をなすべきかについての本」とも書いている。
この言葉の通り、
その後のドラッカーの経営戦略の根本思想がここにあり、
そしてその後もブレがないことに驚かされる。
この本の第6章は「顧客が事業である」。
この章のなかに、
「マーケティングの八つの現実」という節がある。
ここでドラッカーは言い切る。
「マーケティングは流行である」
それが、この時代までのマーケティングの現実であろう。
ただしその後、マーケティングはどんどん進化した。
しかしここにマーケティングの原点がある。
ドラッカーは言う。
「マーケティング分析から明らかになったことがある」
その八つとは。
①顧客と市場を知るのは顧客のみ
だから「顧客を見、顧客に聞き、顧客の行動を理解する」
②顧客は満足を買う
「顧客は製品を買っているのではない。
満足を買っている」
恐ろしい。
この時代に、マーケティングの本質を見抜いていた。
③競争相手は同業他社にとどまらない
ただし「通常、競争相手をあまりに広く、
あるいはあまりに狭く定義している」
④質を決めるのは企業ではない
「生産者や供給者が最も重要な特質と考えるもの、
すなわち製品の質が、
時として顧客にとってまったく意味がない」
この考え方を故渥美俊一先生は踏襲した。
「時として」というところを無視した感はあるが。
⑤顧客は合理的である
顧客を「不合理であると考えるのは危険である」
この中で食品と化粧品を買う時の主婦の行動を、
別人のようにとらえる姿勢を、
ドラッカーは「心理学のたわごと」と切って捨てる。
「全く異なる二つの役割において、
同一の基準を使わないことこそ、
合理的な人間にとっての唯一の合理的な態度である」
私は大好きです。
この言い回し。
⑥顧客の企業に対する関心は些細なものである
「顧客はいかなる企業いかなる産業も気にかけていない」
「市場は無情である」
「企業の倒産」も「市場にはさざ波さえ起らない」
⑦決定権を持つもの、拒否権を持つもの
「顧客とは支払う者ではなく買うことを決定する者である」
ここに今日の主題がある。
「女子供」がカギを握る現代の市場がある。
⑧市場や用途から顧客を特定する
「企業や業界が顧客を識別できない場合には、
顧客ではなく市場や用途からスタートすればよい」
なでしこジャパンとU17の「女子供」の活躍。
「女子供」に代表される購買の意思決定者。
あくまで合理的で、
企業や産業には無情で、
生産者や供給者の製品の質に迎合せず、
製品を買うのではなく満足を買う。
ドラッカーはそれを見通していた。
私は今日、立教ビジネスデザイン研究科の結城ゼミ。
その後、結城ゼミ&大久保ゼミ有志との懇親会。
皆さんも、良い週末を。
<結城義晴>