「あっ」
ボクも、
なにかに、
気づくことがあります。
これを「気づき」と、
いったりします。
あっちを、
見たり。
こっちを、
むいたり。
そうして、気づくことも、
あります。
でも、ボクはそのあとで、
かんがえます。
かんがえることが、
たいせつだとおもっています。
ユウキヨシハルのおとうさんは、
じぶんで、かんがえよ、といいます。
もちろん、はじめは、
おしえてもらう。
でも、そのあとは、
じぶんで、かんがえる。
囲碁や将棋。
かんがえることが、
囲碁を打ったり、
将棋を指したりすることの、
すべて。
「打つ、指す」
そのことじたいは、
むつかしくはない。
かんがえることが、
すべてです。
マラソンは、
はしる。
みんな、かんがえながら、
はしっているのでしょうが、
それでも、はしることが、
いちばん、たいせつ。
Doing things better。
たとえば、はやくはしること。
Doing better things.
たとえば、かんがえてはしること。
気づくことは、
かんがえたり、
はしったりすることで、
また、おこります。
でも、気づくことが、
すべてではありあません。
ほんの、はじめのいっぽ。
かんがえること。
はしること。
なにかを、なしとげるとき、
いちばん、たいせつなのは、
このふたつのことです。
いちばん、だめなのは、
気づくだけ。
つぎに、だめなのは、
ただただ、はしるだけ。
そのつぎに、だめなのは、
気づいて、ただ、はしるだけ。
はしって、気づいたら、
かんがえる。
かんがえて、また、きづいたら、
またまた、かんがえて、
それからはしる。
このくりかえしなのだと、
おもいます。
ボクは、
はしりまわることは、
ありません。
かんがえては、
ねむるばかり。
気づいたら、
いつも、かんがえています。
それはおとうさんと、
いっしょです。
<『ジジの気分』(未刊)より>