今日から第84回選抜高等学校野球大会。
最近は「センバツ」と略す。
所は兵庫県西宮市の阪神甲子園球場。
夏の大会が朝日新聞主催なのに対して、
春の主催は毎日新聞社と財団法人日本高等学校野球連盟。
夏が深紅の優勝旗を目指すのに対して、
春は紫紺の優勝旗。
このセンバツの開会式で、
本当に「球春」がやって来たと感じる。
プロ野球の開幕は球春第二弾。
でき過ぎた話だが、
今春の開会式選手宣誓は、
石巻工業高校の阿部翔人主将。
1週間前の先週木曜日の15日、
試合組み合わせ抽選会があった。
その決定後、主将全員によって再度、抽選が行われた。
その結果、被災した石巻工の阿部主将が、
この役を引き当てた。
阿部君には「予感があった」という。
「自分がメッセージを伝えなければならない使命」
そんなことを思った。
宿舎でチームメートの意見を聞き、
宣誓の言葉に「笑顔、勇気」などを使った。
2001年から21世紀枠の出場校制度が設けられた。
石巻工は東日本大震災で学校もグラウンドも被災した。
部員のほとんども被害に遭った。
阿部主将自身も自宅が全壊した。
しかし昨年の秋季大会で準優勝。
そこで21世紀枠に入った。
「野球の神様っているんだな」
それでもグランドに立ったら、
相手は容赦しない。
それがまた、いい。
私にも思い出がある。
今からちょうど10年前の2002年のセンバツ。
大谷智久投手を擁した報徳学園が優勝。
その大谷は、センバツ大会の5年前、
少年ソフトボール横浜港北リーグ「荏田ブランチーズ」に属していた。
私は白幡小学校をベースにした「竹の子」の監督をしていた。
大谷とはいい勝負をした。
いつも負けた。
その大谷が中学から神戸に引っ越し、
やがて高校生になってNHKのテレビに映り、
にこにこしながら投げ切り、
なんだか、あっという間に、
優勝投手となった。
考えてみると大谷智久は17歳だった。
そう、センバツに出る選手は、
高校3年生といっても、
まだ本物の高3ではなく、
高2と高3の間。
17歳の子供なのだ。
だからこそ、センバツの新鮮な魅力は、
「球春」と呼ぶにふさわしい。
ことしも、17歳、16歳の少年たち、
思う存分に、投げ、打ち、走ってほしい。
球春はやって来たが、
春一番は吹かない。
関東地方では2000年以来、12年ぶりに、
「春一番」の観測がなかった。
春一番の定義。
「立春から春分の日までの間に吹く強い南風」
昨日の春分の日まで、
風速8メートル以上の強い南風が吹かず、
とうとう今年の春一番は記録されず。
しかし、それもまた、よし。
世の中、でき過ぎたことばかりではない。
さて、日経新聞の『私の履歴書』。
今月は大和ハウス工業会長の樋口武男さんの番。
型破りの事業家ぶりを、
毎朝、楽しませてくれる。
その樋口さんの、
大和ハウスの子会社「大和団地」社長時代の話。
全国の事業所回りをしていて、
「覇気がない」と感じた。
そこで自分なりに対策を列記。
これがいい。
I=いい訳をせず
G=ごまかさずに
A=諦めずに
N=逃げずに
A=明るく
S=スピーディーに
「頭文字を下から読むとサナギ。
新生・大和団地の標語として『サナギからのスタート』を掲げ、
美しいチョウに生まれ変わろうと呼びかけた」
樋口さんとサナギやチョウとは、
どうも結びつきにくいが、
それがまた、いい。
センバツの阿部君や大谷君なら、
サナギがチョウになる瞬間を、
私たちが目撃できるに違いないが。
「春一番」は吹かなくても、
「いい訳をせず、ごまかさず、
諦めず、逃げず、
明るく、スピーディーに」
これなら甲子園で優勝もできそうだ。
<結城義晴>