ロンドン・オリンピック、
日本にもやっと連続金メダル。
レスリング女子48キロ級で小原日登美、
そして63キロ級でエース伊調馨。
伊調は2004年のアテネ、2008年の北京、
そしてロンドンで同種目三連覇。
見事。
小原は初出場での金メダル。
これまた見事。
一昨日、敗者に共感するようなブログを書いたら、
男子サッカー、女子卓球団体、
立て続けに日本選手団が敗れた。
それを復する女子レスリングの活躍。
勝者は勝者で、美しくてうれしい。
さて私は昨日から、
モンゴル・ウランバートル。
朝、リムジンバスで、
横浜ベイブリッジを渡る。
みなとみらい、横浜の市街が美しい。
アクアラインを使って、成田へ。
第1ターミナル南ウィング。
ウランバートル行のモンゴル航空。
午後2時半ごろ、乗り込む。
私はいつも、これからお世話になる飛行機の写真を撮る。
お願いします、という気持ちを込めて。
約5時間で、モンゴル・ウランバートルへ。
モンゴル旅行は、
夏のシーズン全盛期でもあって、
満席。
快適な空の旅で、
そのうえ、到着したら、
外は涼しい。
ここで奇跡的な偶然の出会い。
名前は伏せておこう。
ウランバートルは、
最高気温28度、最低8度。
しかし湿度が低い。
だから凌ぎやすい。
私はまるで避暑にきたようだ。
モンゴルは日本で言えば、
最北端の北海道・稚内と同じ緯度。
しかし海抜1300メートルの高地。
空港の前は、何もなく、
地平線まで平原が続いている。
極めて簡素な国際空港。
駐車場には、馬糞が落ちていたが、
日本でも昭和30年代には、
横浜駅西口のすぐそばの浅間下の交差点にも、
馬車が通っていたし、馬糞が落ちていた。
空港からバンに乗り、
市街へ。
しかしその空港と首都中心部を結ぶ道が、
まさにでこぼこ道。
舗装が完全になされていない。
右に、2年前に建設された体育館が見えてきた。
右手に山並みが続き、
その前にトーラ川。
左手は郊外に住宅とゲルが見える。
遊牧民のモンゴル人は、
家を持たない。
しかしウランバートルは図抜けた最大都市で、
人口は一極集中化している。
だから郊外にどんどん人々が移住してくる。
住みついて、3カ月すると、
その人の土地となる。
だからテントのゲルででも、
住み着く人が後を絶えない。
20分ほど走ると、
発電所が見えてきた。
ご心配なく。
火力発電所。
ウランバートルの冬は寒い。
マイナス20度当たり前、
マイナス30度近くにも下がる。
その寒い家々、マンション、アパート、
そしてゲルにも熱が送られる。
室内は真冬でもプラス20度だそうだ。
それもこれも火力発電所のおかげ。
ただし発電所は、首都市街直近で、
モクモクと煙を吐き続ける。
宿泊所のエリン・ホテルについた。
今回、私のモンゴル訪問の目的は、
ワンアジアクラブ交流会に出席のため。
主催はワンアジアクラブ・ウランバートル。
私はワンアジア財団の評議員を務めている。
そのワンアジアクラブ・ウランバートル会長が、
このエリン・ホテルのオーナー。
エルヘンバヤさん(右)。
歓迎の晩餐を催してくれた。
本業はエリン・インターナショナル社長。
左は日本語堪能で通訳もこなしてくれるゾリグさん。
ムジモ・モンゴリア取締役。
エリン・インターナショナルの仕事の第一は、
ブリッジ・プロジェクト。
つまりは、橋をつくる仕事。
社会インフラの構築に関連する機能だ。
第2は、住宅ビジネス。
これも社会インフラの仕事。
現在50歳のエルヘンバヤさんは、
1996年から2000年まで国会議員だった。
34歳から38歳までの若い若い政治家。
その後、實業家として成功。
ワンアジア共同体構築を目指すこの仕事にも、
打ち込んでいる。
エリン・ホテルの食堂で、
精一杯のもてなしを受けた。
ビールから始まって、
ブランデー、ウォッカ、
そして最後は馬乳酒。
ちょっと酸っぱいヨーグルトのような酒。
モンゴルを象徴するような味だと思った。
美味かった。
ウランバートルの夜は、
しずかに更けていった。
< 続きます>
< 結城義晴>