「40歳を過ぎたら自分の顔に
責任を持たねばならない」
アブラハム・リンカーン。
朝日新聞の一面コラム『天声人語』が、
今朝、使った。
大新聞のコラムは、
ここに結び付ける。
「『選挙の顔』選びに政界が騒がしい」
「男の顔は履歴書」
これはいまや伝説のジャーナリスト大宅壮一。
「一億総白痴化」など、
辛口の評論は一世を風靡した。
ここまで出てくると、
次に出てくる定番の言葉は、
ちょっと世俗的だが、
「女性の顔は請求書」
直木賞作家の藤本義一。
11PMの顔として、懐かしい。
1990年まで24年間続いたこの11PMには、
ながらく大橋巨泉が司会者として出ていたが、
長寿番組が終わるころには、
慶応義塾大学教授の村田昭治先生まで、
毎週、登場。
私は㈱商業界の駆け出し編集記者のころ、
村田番を仰せつかっていたので、
これもひどく懐かしい。
しかし今朝、facebookで、
戸田祐子さんから、自分の写真を、
「男前」と書かれて、
ちょっと、ドギマギした。
書かれた瞬間、思い出したのは、
リンカーンの「男の顔の責任」と、
大宅の「男の顔は履歴書」
挙句の果てに、
今朝の『天声人語』にまで、
「男の顔」の話が出た。
いったいどうなっているんだろう。
「男の顔」や「男前」ばかり。
『天声人語』のコラムは、
「『顔』は『背中』にも置き換えられよう」と、
話を強引に転換させる。
こんな無理なすり替え、
『天声人語』では珍しい。
「顔」を「背中」に置き換えられるならば、
こう言い換えられねばならない。
「男の背中は責任」
「男の背中は履歴書」
これはこれで意味もありそうだが、
リンカーンや大宅壮一が言わんとするところとは、
ひどく違ってしまう。
藤本義一を置き換えて、
「女の背中は請求書」とすると、
これまた著者の意に反して、
ちょっと官能的に過ぎようか。
もちろん「父の背中を見て育つ」
「背中で引っ張る上司」など、
「背中」だって軽いものではない。
しかし、言葉は、
そんなに簡単に、
置き換えてよろしいものでは、
断じてない。
一方、毎日新聞の一面コラム『余禄』。
『日本史』の著者ポルトガル人宣教師フロイスの言葉を引く。、
「われわれの子供はその立ち居振る舞いに
落ち着きがなく優雅を重んじない。
日本の子供はその点非常に完全で、
全く賞賛に値する」
さらにフロイスの書簡から、
日本人を評する。
「6、7歳の子にも、
70歳の人に対するように
真面目に話す」
これはとてもいいことだった。
戦国時代のことだが、
日本人の生真面目さが良く出ていた。
私たちは、かつてもっていて、
今もDNAとして残っていることを、
忘れてはいけない。
今日は、夕方から、
佐藤洋治さんを囲んで食事会。
㈱ダイナムジャパンホールディングス社長。
日本のパチンコホール経営者として、
はじめて超難関の株式上場を果たした。
8月6日。
香港証券取引所。
おおきな、おおきな夢が実現した。
その佐藤洋治さんの顔を見ていて、
「男の履歴書」を感じた。
フロイスの指摘を思い出した。
いい顔だった。
肉の万世本店で、
ヒレステーキ7オンスを食べ、
赤ワインを飲んだ。
それからめずらしく、
カラオケに行った。
男ばかり7人。
67歳が5人、
後の二人も60代前半。
私は還暦を迎えたばかり。
そして順番に歌った。
私は、沢田研二と岡晴夫と桑田佳祐。
「時の過ぎゆくままに」
「東京の花売り娘」
そして「月」。
気分がよかった。
ずっと、「男の顔」という言葉を、
頭に描いていた。
ああ、そんな年になった。
そう、思った。
みなさん、1週間、お疲れ様。
ずっと夢を持ちましょう。
大きな夢を。
佐藤洋治さんは、
株式上場を果たして、その後でもまだ、
「大きな夢を持ちつづけている」と述懐した。
夢こそが男の顔をつくる。
私はそう思った。
<結城義晴>