一月行く、
二月逃げる、
三月去る。
二月が逃げるがごとく終わり、
三月が始まった。
しかし「去る」がごとくに、
このひと月も、
時間の経過は早足。
その3月1日、
九州から関東まで、
「春一番」の突風が吹いた。
暦の上でも、
実際の陽気をみても、
3月・4月・5月が、
「春」。
その春の始まりの日に、
春一番。
これは語呂がよいし、
縁起もよろしい。
そう考えたい。
私は、福島県いわき市から帰ってきたが、
ちょっと疲れが溜まっている。
昨日、㈱足利屋洋品店社長の松﨑靖さんから、
「虹の架け橋」が贈られてきた。
商人がチラシのように配る地域新聞。
その連載「小耳にはさんだいいはなし」は、
私のお気に入り。
松﨑さんが手ずから書いている。
今月は、
中山靖雄著『すべては今のためにあったこと』のなかから、
一句を紹介。
よしあしの中を流れて清水哉
江戸時代後期の臨済宗禅僧で画家の仙厓和尚の句。
〈『仙厓義梵』掲載〉
ここで使われている「よしあし」には、
二つの意味がある。
「葦」という字は「よし」とも読むし「あし」ともいう。
イネ科の多年草。
ブレーズ・パスカルの「人間は考える葦である」は有名だが、
その「葦」でもあって、人間をイメージさせる。
水は、そのアシやヨシの間を流れ流れて、
やがて清水となる。
もうひとつの意味は「良しと悪し」。
人間や組織は、
良いこと悪いことをかいくぐって、
成長してゆく。
中山さんは言う。
「本来『良し』『悪し』というのは一対の岸であり、
その両岸の間をどう流れるかということが大事なのです」
3月は「よしあし」のなかを、
生き抜いていきたい。
まず3月を俯瞰しよう。
私たちの暮らしにとって、
ピークは三つある。
第1が3月3日のひな祭り。
今年の桃の節句は日曜日。
2月25日が雛人形を飾るリミットで、
従って、今週は徐々にひな祭りで盛り上がって、
日曜日に絶頂期を迎える。
女の子の節句。
韓国大統領朴槿恵(パククネ)さんは、
初の女性大統領。
タイ王国首相インラック・シナワットさんも、
史上初の女性首相。
21世紀は間違いなく女性の時代。
その女性の時代のひな祭り。
盛大に祝いたい。
ひな祭りを過ぎると、
1週間と1日後の月曜日が、
3月11日。
一昨年の東日本大震災から丸2年。
死者と行方不明者の数は、
2月13日現在、
合計で1万8574人。
死者は1万5880人、
宮城県9535人、岩手県4673人、福島県1606人。
心からご冥福を祈りたい。
さらに行方不明者2694人、
宮城県1310人、岩手県1169人、福島県211人。
仮設などで避難生活を送る人、
フクシマ原発の影響で家に帰れない人、
仕事が再開できない人、
数知れず。
この震災を忘れてはいけない。
自民党政権になっても、
国を挙げて、
復興と振興に取り組み続けたい。
私も『店長のためのやさしい《ドラッカー講座》』の印税を全額、
日本赤十字社に寄付しているが、
これは続けていきたい。
そして3月の商人舎標語。
再びみたびよたびいつたび、
「ひとつずつ、
すこしずつ、
いっぽずつ」。
いつも、ここから始めよう。
3月の暮らしのピークの第3が、
3月20日(水曜日)の春分の日。
祝日法の趣旨は、
「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日。
そしてこの春分の日をはさむ前後7日間が彼岸。
17日の日曜日が彼岸の入り、
23日の木曜日が彼岸の明け。
彼岸とは、「煩悩を脱した悟りの境地のこと」。
「煩悩や迷いに満ちたこちら側」を「此岸」(しがん)という。
中山さんがいう「『良し』『悪し』」というのは、
「彼岸と此岸」のことでもある。
今年も、
3月11日から3月23日までは、
わが日本人にとって、
彼岸と此岸の一対の岸を認識する日々である。
よしあしの中を流れて清水哉
心静かに、
このひと月を過ごしたい。
合掌。
さて、昨日は、
バンコクから帰国し、
その足で東京・大門のカスタマー・コミュニケーションズ㈱へ。
月例の取締役会。
その後、スーパーひたち23号で、
福島県いわき駅の一つ手前の湯本駅へ。
それからタクシーで、
スパリゾートハワイアンズへ。
昔の常磐ハワイアンセンター。
平成2年に名称変更しているが、
有名なのは映画『フラガール』。
そのラピータで、
株式会社マルト
創立50周年記念式典。
いわき市、福島県の名士はもとより、
食品関係、日用品雑貨関係、製薬関係の企業トップが集って、
マルトグループの50周年を祝った。
安島浩社長の挨拶、
安島祏司会長の言葉、
安島光子副会長の話。
私は遅れて入場したので聞き漏らしたが、
多くの人から「感動的だった」という声を聴いた。
来賓の挨拶は、
シジシージャパン代表・堀内淳弘さん、
三菱食品社長・井上彪さんなど、
シンプル。
そしてお取引先トップ総出の鏡割り。
見事に割れて、お目出度い。
乾杯の音頭とご挨拶は、
味の素社長の伊藤雅俊さん。
このあたりの演出は、
基本通りで簡素。
マルトらしい。
そして懇親。
料理とワインが、
飛び切りよかった。
通常こういった会合の食事は、
ちょっと残してしまう。
しかし今回は完食。
スパリゾートに用意させて2度の試食会をやった。
しかし気にいらず、お取引先の協力を得て、
マルトらしいおもてなしをしたという。
ワインも大塚製薬の飛び切りのリッジ2008年が、
全テーブルに並んだ。
食事とワインを楽しみながら、
私も懇親。
まず三菱食品最高顧問の廣田正さん。
廣田さんは引退されて、
3月4日から、
鎌倉に「オフィス廣田」を開設。
ご苦労様でした。
そしておめでとうございます。
さらに伊藤ハム社長の堀尾守さん、
日清オイリオグループ専務の芋川文男さん。
そしてメインイベントは、
フラガール。
映画のフラガールよりも、
実際のフラガールの方が美しかった。
これは、はっきり言っておきたい。
祝賀会が終り、
出口の金屏風の前で、お別れ。
安島浩社長、安島光子副会長、
そして車椅子の安島祏司会長。
シジシージャパン顧問の川一男さんも。
私は会長・副会長と写真。
私の隣は衣料品ファミリー社長の安島ゆみ子さん。
そして最後の最後に、
マルト100周年を担う二人。
安島大司さん(右)と安島英城さん。
大司さんが安島浩社長の長男で、現在マルト取締役。
英城さんが次男で、米国研修から帰国したばかり。
私はこの日、この二人に会いたかった。
そして「50年後の100周年をよろしく」と、
直接、言いたかった。
東日本大震災と福島原発事故のなかで、
地域のために活躍したマルトは、
「日本商業の誇り」である。
そのことを、将来を担う二人に、
伝えたかった。
祝賀会が全部終わって、
帰ろうとしたら、
ばったりとお会いした。
くすりのマルト社長の安島力さんと、
㈱大木会長兼社長の松井秀夫さん。
そのまま、松井さんにさらわれるように二次会に。
安島光子副会長が加わって、
「割烹 一平」。
いわき市のアンコウ料理の名門。
安島会長は奇跡的にガンを克服した。
その主治医が慶応義塾大学病院耳鼻咽喉科の小川郁先生。
小川先生の音頭で乾杯をして、
マルト50周年を再び、祝った。
私は2011年4月1日に、
マルトを訪れた。
あの震災が勃発し、
月が明けた初めの日を選んだ。
そして、感動した。
心から応援した。
4月4日、5日と連続で毎日更新宣言ブログに、
「マルトの大震災孤軍奮闘物語」を書いた。
〈前篇〉が「店を開けることが私たちの使命」
〈後篇〉が「店を開けよう、売場に立とう!これが私の誇りです!」
それから2年が経過しようとしている。
原発の状況は一向に変わらない。
だからマルトの仕事の重みは、
ますます増している。
いわき市周辺に顧客たちが、
大切な生活を営んでいるからだ。
ずっしりとしたものを背負いながら、
マルトは全従業員、全役職員の、その総力で、
今日も仕事を続ける。
よしあしの中を流れて清水哉
合掌。
〈結城義晴〉