変わることと変わらぬこと。
変えることと変えぬこと。
それを考えた。
憲法記念日。
1948年7月20日、
『祝日法』公布・施行。
国民の祝日に関する法律。
その第一条。
「自由と平和を求めてやまない日本国民は、
美しい風習を育てつつ、
よりよき社会、
より豊かな生活を築きあげるために、
ここに国民こぞつて祝い、感謝し、
又は記念する日を定め、
これを『国民の祝日』と名づける」
この祝日法で、
憲法記念日の趣旨が決められている。
「日本国憲法の施行を記念し、
国の成長を期する」
その日本国憲法は、
1947年5月3日、施行。
だから67年目の憲法記念日。
その記念日に、
改憲論議が、
盛んというか、
喧しいというか。
朝日新聞『天声人語』。
「改憲を政治の争点にするのなら、
まず具体的条項の改正の必要を国民に訴え、
もし必要ならば手続きの変更を
提起するのが筋ではないか」
日経新聞『春秋』。
「基本に立ち返りたい。
権力を縛る力はあるか。
国民の権利は守られ
特定の価値を押しつけられていないか。
そんな2本の座標軸を立てるだけで、
ずっと考えやすくならないか。
変えるも変えぬも、
出発点はそこにしかない」
読売新聞社説のタイトル。
「改正論議の高まり生かしたい」
安倍晋三首相。
「日本人は自身の手で
憲法を作ったことがない」
「僕たちは自分でやったことがない」的発言は、
しかし、あまりに子どもじみている。
日経新聞で、東京大学の石川健治教授。
二つの筋道を明快に解く。
立憲主義と民主主義。
「立憲主義の筋道では、
改正規定を改正する根拠は
憲法の中には見いだせず、
無根拠の国家行為になる」
「民主主義の筋道では、
発議も国民投票も
単純多数決の一直線で良いのか、
疑問がある」
「双方の観点から筋が通らない」
京大大学院大石真教授。
「最高法規の憲法典に
何をどれだけ盛り込むか
という基本を議論すべきだ」
「ただ96条だけの改正は違和感がある。
内容を伴うべきだ」
なにごとも、
変えることを目的としてはいけない。
変えることが目的化してはならない。
5W1H。
Five W’s and One H。
Who(だれが)
What(なにを)
When(いつ)
Where(どこで)
Why(なぜ)
How(どのように)
憲法に関して重要なのは、
What・Why・How。
なにを変えるか、
なぜ変えるか。
どのように変えるか。
経済政策はいまのところ合格だろうが、
改憲論議に対する安倍首相は、
WhoとWhenに関心があるように見える。
「ボクが今」。
それが子どもじみて聞こえる理由だ。
今日の憲法記念日よりも、
明後日のこどもの日にふさわしい。
変えることと変えないこと、
変わることと変わらないこと。
私は憲法96条よりも、
90を引き算した9条に焦点があると思う。
そして私のスタンスは、自然体。
ラインホールド・ニーバーの[祈り]。
変わるものを変えられる勇気を、
変わらぬものを受け入れる心の静けさを、
それらを見分ける英知を
お与えください。
この英知は、
子どもじみてはいない。
〈結城義晴〉