2013年、
お盆中日。
そして68回目の終戦記念日。
私の家は浄土真宗で、
中学高校はカトリック系だった。
しかし私自身は、無宗教。
それでも今日は、
霊や魂について考える。
絶対的な存在に思いを巡らせる。
結論は出ないが、厳粛な気持ちになる。
これについて、人と議論する気はまったくない。
完全なる個人の問題だと思っている。
ただし、
商売の神様の存在は、
信じている。
商売の神様に、
そっぽを向かれた店は、
廃れる。
商売の神様に、
見放された企業は、
滅びる。
商売の神様に、
愛でられた商人は、
栄える。
商売の神様と、
ともに歩むマーチャントには、
繁盛が約束される。
この商売の神様は、
お客様ではない。
それを超えた存在である。
店は客のためにあり、
店員とともに栄える。
店主とともに滅びる。
この概念すべてをつかさどる者、
この考え方を守り支える存在。
それが商売の神様である。
商売に比べればずっと軽いものだが、
ゴルフの神様も、
ちょっとだけ、信じている。
ゴルフの神様に、
見はなされたゴルファーは、
悲惨な一日を体験することになる。
野球の神様も、
同じように、
信じている。
甲子園球児は全員が、
野球の神様に、
愛されている。
だからすべてのプレー、
すべての失敗すら、
感動を呼び起こす。
無宗教と言いながら、
たくさんの神様を
信じている。
結城義晴は、
無宗教者の多神教者。
これを矛盾と呼ぶのだろうか。
まあ、いい。
この件に関して、
人と議論するつもりはまったくない。
しかし、
お盆中日。
終戦記念日。
私はひたすら、
無宗教者でいながら、
商売の神様を信じていたい。
〈結城義晴〉