今日はクリスマスイブだが、
ふたたびみたび、訃報。
㈱商業界の倉本初夫取締役主幹が、
12月15日(日曜日)午前11時54分、
逝去された。
90歳。
1週間後の22日に通夜、
翌23日に告別式が、
近親者だけで行われた。
偲ぶ会は2月7日。
商業界ゼミナール終了後に、
アパホテル東京ベイ幕張で開催される。
謹んで哀悼の意を表したい。
1977年(昭和52年)4月1日、
私は株式会社商業界に、
新卒社員として、入社した。
その入社試験の面接官の1人として、
当時の倉本初夫代表取締役社長に会った。
実に穏やかな紳士だった。
他の面接官は、
当時の取締役の櫻井豊治さん、外益三さん、
そして鈴川克美さん。
倉本初夫社長は、
月刊『商業界』だけの経営専門の出版社を、
ラインロビングによって、
総合流通メディアにしようと意図していた。
だから1963年『販売革新』、
1972年『食品商業』、
1975年『飲食店経営』、
1976年『ファッション販売』と、
次々に月刊雑誌を創刊。
現在の株式会社商業界の形をつくる。
その後、1998年、月刊『コンビニ』は、
私が取締役として創刊。
現在の6誌体制ができあがる。
商業界といえば
「倉本長治先生」。
世間ではそう考えられているが、
初夫主幹は長治先生の長男として、
商業界運動を後継し、
日本流通業の近代化に、
多大な貢献を果たした。
長治先生が近代化の精神を築いたとすれば、
初夫主幹は故渥美俊一先生とともに、
近代化の実践を推進した。
その後、私は、
商業界労働組合の委員長として、
経営トップの初夫社長と対峙したこともあった。
さらに編集長、取締役編集統括、
専務取締役と昇格し、
2003年、代表取締役社長に就任。
時代時代にいつも初夫主幹と、
ディスカッションしたり、
サポートしていただいたりした。
商業界社長を辞して、
株式会社商人舎を設立した2008年4月にも、
発足の会の発起人になっていただいた。
この発足の会でのスピーチ。
「商業界からは多くの人が、
卒業していった。
結城君もその一人。
頑張って欲しい」
話し終わって、
壇から降りてきて、
倉本主幹、
「本当によかっただろう?」
結城義晴、
「本当によかったです」
このやり取りは、
忘れることができない。
そして今、私は心から、
「本当によかった」と思っている。
倉本初夫主幹には、
いくら感謝しても足りないくらいだ。
最後に一緒に写真を撮ったのは、
2010年9月14日。
商業界北陸ゼミナール。
主幹が開講講演。
「不況が商人を鍛える!」
それにつづいて、
結城義晴が記念講演。
「商売十訓を解き明かす」
その後の夕食会の写真がこれ。
320人が一堂に集った。
その後も、
商業界地方ゼミナールで、
お会いしたり、目礼くらいの擦れ違いで、
じっくりお話しすることもできず。
今年9月の佐賀県の九州ゼミでは、
主幹が急遽、風邪を引いて欠席。
ちょっと心配していたが、
12月に入って、逝去された。
これからの商業界、
どうなるのだろう。
そんなことを思うが、
倉本初夫主幹、
心からご冥福を祈りたい。
合掌。
今年は、
杉山昭次郎先生が逝ってしまった。
商人舎最高顧問。
86歳。
2月12日午前3時46分には、
北野祐次さんが逝去された。
関西スーパーマーケット創業者・名誉会長。
オール日本スーパーマーケット協会名誉会長。
享年90。
2月8日、あの松本清さん、
満63歳で早世。
㈱スーパーアルプス代表取締役会長。
子供の頃から大ファンだった大鵬幸喜、
享年72。
大相撲史上最多の優勝32回。
マーガレット・サッチャーさん。
脳卒中で、87年の生涯を閉じた。
山崎豊子さんは、
88歳。
10月1日には、平村文男さん。
㈱大阪屋ショップ代表取締役会長。
75歳。
漫画家のやなせたかしさんは、
94歳だった。
「アンパンマン」の作者。
そして南アフリカ共和国元大統領、
ネルソン・マンデラさん、
95歳で大往生。
堤清二さんも亡くなった。
元セゾングループ代表。
86歳。
親しい友人の小森勝さんも、
65歳で早世してしまった。
日本マーケティングセンター代表。
そして最後に、
倉本初夫主幹。
90歳。
21世紀社会の現代化を思う時、
多くの人々の遺志を、
是非とも発展的に継いでいかねばと、
決意を新たにする。
クリスマスイブのにぎやかな世相の中で、
私は静かに決意する。
〈結城義晴〉