通称『店ドラ』。
『店長のためのやさしい《ドラッカー講座》』。
イースト・プレス刊、結城義晴著。
日本での初版は2011年5月28日で、
6刷にまでなっています。
それが2012年6月15日に、
台湾で翻訳・発刊され、
さらに昨2013年暮れ、
中国でも翻訳され発売された。
最近、著者である私のもとに届けられた。
中国版が黄色の表紙、
台湾は白地に赤、
日本版は水色に黄色。
不思議なことに、
いずれもデザインが異なる。
しかしお目出度いことは変わらない。
ドラッカーは国境を超える。
店長というお役目も、
国境を超えていることがわかる。
お目出度い。
ドラッカーの翻訳家・上田惇生先生。
ドラッカー自身から「私の分身」といわれた。
その上田先生が述懐する。
「不思議なことに、
誰もがドラッカーは
自分のために書いてくれたと思います。
5年経ったらまたそのとき、
自分のために書いてくれたと思います」
「つまりドラッカーは、
それぞれのドラッカーです」
私は、『店ドラ』の表紙のトップタイトルに書いた。
「ドラッカーは
小売り・サービス業を
応援している!」
これこそ、
「それぞれのドラッカー」。
台湾人も中国人も、
韓国人もアメリカ人も。
もちろん日本人も。
それぞれのドラッカーをもっている。
そう考えるだけで、
問題が解決したような気になる。
お目出度い。
一方、
まど・みちおさんが、
亡くなった。
詩人・童謡作家。
私は早稲田大学童謡研究会出身。
赤い鳥運動の頃に発足した、
由緒ある研究会。
初代顧問は西条八十。
学生時代は童謡の創作をしていた。
だから、まど・みちおさんには、
あこがれていた。
北原白秋や野口雨情も研究し、
創作に役立てた。
童謡の「ぞうさん」はあまりにも有名。
愉快な「やぎさん ゆうびん」もいい。
喪主の長男石田京(たかし)さんは、
ダイエー出身の流通業界人。
104歳の老衰。
まど・みちおさんに向けて、
語りかける言葉など、
みつけることはできない。
ただただご冥福を祈り、
感謝の気持ちを捧げたい。
最後に、
「ゆきがふる」
まど・みちお作。
ふるふる ふるふる
ゆきが ふる
ゆきを みあげて
たつ ぼくに
ふるふる ふるふる
ゆきが ふる
とつぜん ぼくは
のぼってく
せかいじゅうから
ただ ひとり
そらへ そらへと
のぼってく
ふと きがつくと
ゆきが ふる
ゆきを みあげて
たつ ぼくに
ふるふる ふるふる
ゆきが ふる
今年は雪が多かった。
まど・みちおさん。
せかいじゅうから
ただひとり
そらへのぼって
いきました。
合掌。
〈結城義晴〉
【追伸】
今日は月刊『商人舎』3月号最終校了日。
短いブログでお許しください。