今日は朝から、
東海道新幹線のぞみ。
このあたりに富士があるはずだが、
雲に隠れて見えない。
車中、facebookで、
栗原一博さんが、
林周二先生のインタビュー記事をシェア。
栗原さんは㈱ダスキンくりはら社長で、
商業界同友会の新しい重鎮。
私もそれを読んで、
コメントを書いて、
facebookにシェア。
日経web刊のインタビュー記事で、
「流通革命」著者・林周二氏に聞く。
林周二先生は、大正15年生まれ。
ああ、渥美俊一先生や清水信次さんと同じ。
大学のゼミ教授・壽里茂先生とも、
そして私の父とも同年。
1926年、東京生まれだが、
福岡の名門・修猷館から、
東京大学経済学部を卒業して、
研究者の道を歩み、
東大助教授時代の1962年、
『流通革命――製品・経路および消費者』を出版。
発刊は中央公論社だった。
弱冠36歳、早熟の助教授の著書が、
日本の流通革命に火をつけた。
東大教授の後は、
静岡県立大学、明治学院大学、
そして流通科学大学でも教鞭をとった。
東京大学名誉教授。
私は林先生が静岡県立大学教授のころ、
渥美先生を介して交流があって、
お話を聞いたり、
何度か箱根や奈良に、
旅行をご一緒したりした。
日経web刊インタビューは、
ベストセラーのタイトルへの質問から始まる。
「私が考えたのではありません。
編集担当者だった田島義博さんの命名です」
田島先生は前学習院大学院長で故人。
編集者上がりの学者。
私も大いに尊敬していた。
林先生は統計学の専門家。
その観点から流通業を研究した。
「ダイエーの1号店を見に行き、
その繁盛ぶりに驚いたのが
きっかけの1つです」
「見ると聞くとでは大違いだった」。
ドラッカーのポスト・モダンの流儀。
「自分の目で見、耳で確かめよ」
「創業者の中内功さんもいました。
学者が視察に訪れたことに関心を持たれ、
いろいろと教えてもらったのを覚えています」。
ここで研究者・林周二が感じとる。
「何か互いに通じるモノがあったね。
社会が変わっていくような気もしました。
その熱気を書こうと思いました」
林周二が伝えたかったこと。
「当時は高度成長期で、
世の中がものすごいスピードで
変化していました。
そのスピードがもっと速くなることを
言いたかったのです」
このダイエー創業のころから、
既存小売業と比べて、
凄いスピード感はあったし、
それは今も続いている。
ここで面白いたとえをする。
「それまで雑誌と言えば月刊誌でしたが、
週刊誌が出始めた時期だったと思います。
読者の情報に対する欲求が
急速に高まったからです」
これを流通革命のスピードに結び付ける。
私は今、週刊誌がさらに、
Daily Newsのスピードになり、
紙が網に変わりつつあると確信している。
そして紙も完全になくなりはしないし、
網との融合になる。
だから月刊『商人舎』と
商人舎Magazineを併用する。
その中で、商人舎Magazineは、
Monthly商人舎、Weekly商人舎、
そしてDaily商人舎で構成される。
林周二はニヒルだ。
「しかし、変化の速さを
後押ししたスーパーですら、
時代に取り残されるようになった。
今だとコンビニかな。
とはいえコンビニも
安泰ではないでしょう」
この本では、
「問屋不要論」が指摘されている。
よく読むと、そうでもないと私は思うが、
「未来書のような読み方をされた読者もいますが、
『ここは当たっている。当たっていない』と
読まれることに当惑してます。
変化をどう捉えるかを読んでほしかった」
「流通革命」の読者となって、
流通業に飛び込んできた人たちに対して。
「結果的に多くの革命児を
作ってきたことになるけど、
教え子たちにはあまり
勧めなかったね。
流通業はその速さ故に
『人を消耗させる』と見ていたからです。
今もそのようなことが
残っているようにみえます」
私はそのスピードが、
人間を鍛えると考えている。
林先生のスタンスとは、
決定的に異なる。
やはり倉本長治や渥美俊一の立脚点にあって、
それを発展的に革新させていくのが、
私の役目だ。
今、取り組んでいるテーマ。
「『知恵』についての本を書いています」
そして最後に、
「もう、流通革命について
話すことはありません」
ああ、林先生は、
もともと統計学者なんだ。
私は、そう思った。
確か、箱根にご一緒した時だと思うが、
「今、書いているのは『商学大全』です」と、
語った林周二。
それが1999年、
『現代の商学』として上梓された。
流通革命から離れて、
ネクスト・ワンに向かっている。
当時、私はそんなふうに思って、
凄い先生だと感動したが、
今にして振り返れば、
林周二の関心は移ろっている。
私自身は、今こそ、
新しい流通革命が、
起こっていると考えている。
林周二の「流通革命」は、
商業の近代化だった。
それが今、
「商業の現代化」へと
変容している。
自分の足でフィールドを歩き、
自分の目で見、自分の耳で聞くと、
ポスト・モダンのリテール・リボリューションが、
いま、沸き起こっていることがわかる。
そしてそれはおそらく、
統計学としてとらえた「現代の商学」ではない。
定量的な集計分析と、
ちょっとした聞き取りだけでは見えないものが、
継続的で丹念なフィールドワークによって、
くっきりとしてくるのだ。
さて、今日の私は、
2時間15分ほどで新大阪。
タクシーで大阪帝国ホテルへ。
菓子卸売業のエヌエス研究会。
その創立30周年記念式典と懇親会。
全国の菓子問屋13社が加盟して、
「一つの会社の如く」協業する。
林周二「問屋不要論」は従って、
当たってはいない。
食品問屋では、
三菱食品や国分が2兆円を超え、
他の卸売業も重要な社会的機能を果たしている。
控室で、エヌエスの幹部の皆さんと写真。
式典が始まると、
前列には先ほどの幹部の皆さん。
そして渡邉健次会長の挨拶。
えびす本郷㈱代表取締役社長。
続いて佐藤治男副会長が、
エヌエス研究会の概要と歴史的成果、
経営方針を丁寧に説明。
㈱外林代表取締役社長。
エヌエスはプライベートブランドを開発している。
来賓を代表して、
㈱明治の田上康孝さんが祝辞。
常務執行役菓子営業本部長。
閉会の辞は、石河勲エヌエス研究会役員。
福岡の㈱イシカワ代表取締役社長。
その後、10分の休憩の後、
結城義晴の記念講演。
80分のところ、
少し早く始まったので、
ギリギリまで90分。
「食品産業の展望と課題」
一気に語った。
ご清聴を、感謝したい。
その私の講演への謝辞は、
㈱外林会長の外林久忠さん。
商業界『商売十訓』を掲示して、
私の講演を褒めてくださった。
ありがたい。
その後、控室で、
来賓の皆さんと交流。
私の隣から、
フルタ製菓㈱会長の古田鶴彦さん、
㈱不二家代表取締役社長の櫻井康文さん。
櫻井さんは〈毎日更新宣言ブログ〉の大ファンで、
月刊『商人舎』の愛読者でもある。
本当にありがたい。
さらにカルビー㈱社長の伊藤秀二さん、
春日井製菓㈱社長の春日井康仁さん、
UHA味覚糖代表取締役社長の山田泰正さん、
そして江崎グリコ㈱の江崎勝久さんと、
㈱ブルボン専務取締役の星野倖夫さん。
菓子業界のそうそうたるメンバー。
懇親会が始まって、
エヌエス研究会幹部がお出迎え。
会場には管弦楽カルテット。
副会長の白石純一郎さんの挨拶。
熊本の㈱白石代表取締役社長。
私は縁あって、
白石さんが課長の時代から知っている。
素晴らしい社長になった。
来賓挨拶は、
江崎グリコ㈱社長の江崎勝久さん。
乾杯の音頭は、
カルビー㈱の伊藤秀二さん。
代表取締役社長兼COO。
そして懇親。
懇親会では全員が、
これまでの30年と、
これからの30年を思い浮かべつつ、
菓子業界の将来を考えた。
そして、中締めは、
㈱ブルボン専務取締役の星野倖夫さん。
最後の挨拶は、
エヌエス研究会役員の花森清茂さん。
北陸の㈱アイワ・フィット代表取締役社長。
エヌエスのみなさん、
おめでとう。
そして最後は、
ホテル2階のバーで、
若手リーダーの皆さんと懇親。
ありがとう。
楽しかった。
応援します。
林周二の「流通革命」。
その「問屋無用論」。
これだけが独り歩きすることは、
林先生も心外だろう。
ただし、製造業も卸売業も小売業も、
大きくても、
社会貢献できない企業が、
「不要」となって、
小さくとも、
社会にお役立ちする企業が、
「有用」となる。
そしてそれらの協業は、
「商業現代化」の大テーマである。
私は生きている限り、
このことを語り続けるだろう。
〈結城義晴〉