緒方知行さんの訃報を書いていて、
自分の歴代上司のことを思い出した。
1977年、社会人最初の上司が、
㈱商業界『販売革新』編集長の緒方知行さん。
次が、やはり同誌編集長の高橋栄松さん。
それから三人目は、
『食品商業』編集長だった今西武さん。
私は『販革』から『食品』に異動したのだった。
四人目も同誌編集長の小島稔さん。
それから1989年、
私が『食品商業』編集長に昇格したので、
五人目は取締役編集局長だった丸木伊三さん。
私はそのまま1996年に、
編集担当取締役に昇格し、
その時点でも上司は、
社長となっていた丸木さん。
その後、社長は高岡真佐雄さんに代わって、
六人目の上司は高岡さん。
それから2003年に私は、
㈱商業界代表取締役社長に就任して、
上司はいなくなった。
ただし、商業界には、
倉本初夫主幹の存在があって、
社長の私の上司のようなものだったが、
私は個人的には尊敬こそすれ、
倉本さんを上司とは考えなかった。
その後、2007年に、
任期満了で退任し、
半年ほど無印になった。
この間はもちろん、上司はいない。
全くの自由。
そして2008年2月1日に、
㈱商人舎を設立して、
代表取締役社長に就任。
だから、今もボスはいない。
私の生涯には、
6人の上司がいた。
これからの人生でも多分、
私にとってボスとなる存在は、
登場しないだろう。
都合、6人。
少ないだろうか。
でも、㈱ドゥ・ハウス社長の稲垣佳伸さんは、
多分、生涯でたった一人、
小野貴邦さんだけが上司だったと思う。
今西さんと緒方さん、
そして小野さんも、
故人となってしまった。
今西さん、緒方さん、小野さん。
いずれも凄い人だったが、
伊藤雅俊さん、岡田卓也さん、清水信次さん、
そして鈴木敏文さんのような、
化け物級ではなかった。
しかし、恐ろしく、凄い人たちだった。
ご冥福を祈るとともに、
私の上司だったみなさんに、
心から感謝したい。
さて5月が終わろうとしている。
日経新聞最終面の『私の履歴書』
先月の似鳥昭雄さんが、
あまりに強烈だったので、
今月の川村隆さんは、
霞んでしまうかとも心配したが、
杞憂に終わった。
日立製作所の社長・会長を務めた川村さん、
キーワードは「ラストマン」。
この言葉を教えてくれたのは、
川村さんの課長時代の上司、
日立工場長だった綿森力さん。
後に日立の副社長になる。
「ラストマン」とは、
「船の船長のようなもの」。
「嵐が来て万策尽きて
船の沈没やむなしとなった時、
すべての乗客や船員が
下船したのを見届けて、
最後に船から離れる」
だから船長は「ザ・ラストマン」と呼ばれる。
「ザ・ラストマン」の覚悟で仕事をする。
2009年3月、川村さんは、
子会社の日立マクセルの会長だった。
当時、69歳。
突然、日立の指名委員会が、
川村さんを次期社長に指名した。
川村さんは、大いに迷った。
友人に相談する。
「やめた方がいい」という声が圧倒的。
しかし川村さんの胸の内には、
「ラストマン」の言葉があった。
1999年7月23日、川村さんは、
羽田発新千歳行きの全日空61便に乗った。
離陸して房総半島上空に差し掛かったころ、
機体は突如Uターン。
「当機はハイジャックされました」と機内放送。
「女性や子供の悲鳴が上がった」
犯人は精神的に不安定な若者だったが、
絶体絶命の危機を救ってくれたのは、
「偶然その便に乗り合わせた、
非番の全日空パイロットの山内純二さん」
「犯人は機長を刺殺し、
自分の操縦で横田基地への着陸を試みるが、
とてもそんな技量はなく、うまくいかない」
「『このままでは墜落する』と判断した山内さんは
ドアを蹴破ってコックピットに突入し、
操縦かんを奪い返した」
この山内パイロットの行動は、
実は航空会社マニュアルに反するものだった。
「しかし、マニュアルに沿って、
この犯人の言うとおりにして、
機体が墜落してはどうしようもない。
緊急事態には自分の頭で考え、
自分の責任で行動しないといけない」
この事件は、
川村さんの人生観をガラリと変える。
「人はいつ死ぬか分からないのだから、
毎日を大切に生きなければと
自覚するようになった」
もう一つ、この事件から、
川村さんは「ラストマン」の意識を、
改めて強く持つようになった。
ラストマンは「最終責任者」。
1997年のハイジャック事件。
2009年の社長指名。
自宅近くの雑木林を散歩している時、
天啓のごとく「ラストマン」の言葉が、
川村さんに降りてきた。
山内パイロットが、
「全日空機でラストマンの役割を果たしたように、
自分も日立でその役回りを引き受けよう――」
昨日の連載の会長退任時にも、
川村さんは考える。
日立では経営者予備軍を、
日立グループ内の他社に派遣して
鍛える仕組みを導入している。
「タフ・アサインメント」と称する。
川村さんは、つくづくと述懐する。
「小さい企業であっても、そこで、
『自分がラストマンだ』という気持ちで
自ら鍛錬することが重要だ」
私自身のことを振り返ると、
ボスは6人しかいなかった。
最後の上司の高岡社長の部下となったとき、
今から思うと、私は確かに、
「ラストマン」の考え方を強く意識していた。
それはいまも、変わっていない。
もちろん化け物級には、
とてもかなわないけれど、
恐ろしく、凄い人たちには、
感謝しつつも、負けてはならじと、
「ラストマン」を貫きたいと思う。
このブログ読者のみなさんには、
「タフ・アサインメント」を、
お薦めしたい。
子会社社長、部長、店長、部門長、
みんな船長であり、機長だ。
小さい企業、小さい店であっても、
『自分がラストマンだ』という気持ちで
自ら鍛錬することが重要だ。
〈結城義晴〉