70回目の広島原爆の日。
私たち日本人は、
この日を忘れてはならない。
そしていま、仕事に、商売に、
精を出さねばならない。
原民喜(はらたみき)。
広島で被爆した作家。
朝日新聞『天声人語』、
日経新聞『春秋』、
そして毎日新聞『余禄』、
全紙が原民喜を取り上げた。
その小説「夏の花」。
「私は厠にいたため一命を拾った。
八月六日の朝、私は八時頃床を離れた。
前の晩二回も空襲警報が出、
何事もなかったので、
夜明前には服を全部脱いで、
久し振りに寝間着に着替えて睡った。
それで、起き出した時もパンツ一つであった。
妹はこの姿をみると、
朝寝したことをぶつぶつ難じていたが、
私は黙って便所へ這入った。
それから何秒後のことかはっきりしないが、
突然、私の頭上に一撃が加えられ、
眼の前に暗闇がすべり墜ちた」
「青空文庫」で、
誰でも読むことができる。
そして「永遠のみどり」。
「彼はその晩、床のなかで容易に睡れなかった。
〈水ヲ下サイ〉という言葉がしきりと頭に浮んだ。
それはペンクラブの会のサインブックに
何気なく書いたのだが、その言葉からは
無数のおもいが湧きあがってくるようだった。
火傷で死んだ次兄の家の女中も、
あの時しきりに水を欲しがっていた。
水ヲ下サイ……水ヲ下サイ……
水ヲ下サイ……水ヲ下サイ……
それは夢魔のように彼を呻吟させた。
彼は帰京してから、
それを次のように書いた。
水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ…」
胸に響く。
忘れてはならない。
そして私たちは、
仕事に、商売に、
精を出さねばならない。
その原爆の日。
第97回全国高校野球選手権大会が、
甲子園球場で開幕。
鳥羽高校の梅谷成悟主将が宣誓。
「この100年、日本は
激動と困難を乗り越えて
平和を勝ち取った。
次の100年を担う者として、
8月6日の意味を深く胸に刻み、
甲子園で躍動することを誓います」
激動と困難を忘れてはならない。
そして私たちは、
自分の打ち込むことに、
邁進しなければならない。
今日は朝から東京・清水橋。
㈱伊藤園本社。
恒例の伊藤園大陳コンテスト審査会。
審査委員6人が参集。
左から伊藤園副社長の本庄周介さん、
社長の本庄大介さん、
副会長の江島祥仁さん、
『食品商業』編集長の竹下浩一郎さん、
そして松井康彦さん。
商人舎エグゼクティブプロデューサー。
10時きっかり、すぐに審査開始。
6人の審査員が4つのコースごとに、
自分の選んだ作品に付箋を貼っていく。
桜大茶会の第一弾・第二弾コース、
それからリーフティバッグコース、
テーマ訴求コース。
そしてコースごとに、
最優秀賞と優秀賞を選ぶ。
決まりました。
最優秀賞。
今回も全国から2万2534店の参加。
日本最大の大陳コンテストだ。
審査が終わると記念写真。
スタッフも全員、参加して写真。
その後、江島副会長の部屋で、
抹茶などいただいて、情報交換。
東京は7日連続の猛暑日で、
記録更新中。
伊藤園の販売実績も好調で、
本庄さん、江島さんも笑顔。
日本の流通業界の動静、
各社の注目店舗、
アメリカの変化などなど話して、
時間はすぐに過ぎる。
その後、横浜商人舎オフィス。
気象予報士の常盤勝美さん来社。
商人舎Magazineの連載、
「常盤勝美の2週間天気予報」でおなじみ。
㈱ライフビジネスウェザー常務取締役。
常盤さんには、
この酷暑のことを聞いた。
来週には落ち着きそうだが、
それは伊藤園の人々にとっては、
どうなのだろう。
小売業の人々にとっても、
どうなのだろう。
いずれにしても私たちは、
仕事に、商売に、
精を出さねばならない。
常盤さんのウェザーマーチャンダイジングも、
新しい局面を迎えることになる。
ご期待ください。
暑いあつい8月6日。
終戦の夏、
原爆の日。
あのころ、もし、
伊藤園のペットボトルがあったなら、
どれだけの人が救われただろう、
癒されただろう。
そんなことを思った。
そして仕事に、商売に、
精を出さねばならないと思った。
合掌。
〈結城義晴〉