二百十日は、
立春を起算日とした210日目。
今年は9月1日。
今日9月2日は、従って211日。
二百十日は台風の多い日、
あるいは風の強い日。
農業にとって三大厄日の一つ。
その厄日とは、
八朔、二百十日、二百二十日。
八朔は八月朔日、つまり8月1日。
もちろん旧暦だから、新暦8月25日か。
二百十日は9月1日、
二百二十日は9月11日。
だから三大厄日はいずれも、
8月下旬から、9月中旬までということになる。
私はその二百二十一日に生まれた。
昭和27年の1952年。
福岡県早良郡大字小笠木字脇山村。
現在は福岡市に併合され、
早良区となっている。
家は代々、農業を営んだ。
しかし祖父が中国大陸に渡り、
事業を起こし、
父は満州の大連で生まれた。
従って、私には、
農と商の血が入っている。
たいていの日本人は、遡れば、
同じようなDNAを持つのだろうが。
それから63年、生きてきた。
幸いにも生かされてきた。
最近、人の誕生日には、
お祝いを述べたあとに、
言葉を添える。
「人生で一番大事な日が
二日ある。
生まれた日と、
なぜ生まれたかが
わかった日である」
〈マーク・トウェイン〉
“The two most important days in your life
are the day you are born
and the day you find out why.”
私にとって第一に大事な日は、
1952年の二百二十一日。
わかりやすい。
では、第二に大事な日はいつか。
本当のところは、
死ぬ瞬間にしか、
わからないのかもしれない。
それでも今、考えられるのは、
2007年の二百十日の日。
55歳の誕生日の前日。
私はこの年の8月31日に、
㈱商業界の代表取締役社長を辞し、
無印になった。
一夜明けて、つくづくと思った。
商業の世界に貢献することこそ、
私が生まれてきた理由であると。
逆に言えば、私にはもう、
それしかできないのだと。
この日が私の第二の誕生日となった。
だからその時、
毎日更新宣言ブログを、
生きている限り、
書き続けようと、
心に決めた。
もちろん、毎年、
1月元旦に開始宣言し、
大晦日に終了宣言する。
さらに元旦に宣言する。
これを繰り返してきた。
マンネリを防ぎ、
決意新たに臨むためだ。
しかし死ぬまで、
毎日、書き続ける。
これは変わらない。
だから〈毎日更新宣言〉。
そして私のちっぽけな一生を、
どのように商業に貢献させるかも、
その時におのずと浮かんでいた。
それまで仕事し、学習し、
習得してきたことのお蔭だと、
㈱商業界やその時代に出会った人々に、
心から感謝した。
そのテーマは、
「商業の現代化」である。
ポストモダンの小売りサービス業、
ポストモダンの消費産業をつくること。
それに貢献すること。
「近代化」の次に、
必ずやってくる「現代化」。
倉本長治先生も、
新保民八先生、岡田徹先生も、
渥美俊一先生も、
上野光平先生も、
杉山昭次郎先生も。
全員が故人だが、
商業近代化に大きく貢献した。
中内功さん、
堤清二さん、
西端行雄さん、
大高善雄さん、善二郎さん、
北野祐次さん、水谷久三さん、
夏原平次郎さん、
そして川野トモさんも。
こちらも故人ばかりだが、
自ら商業近代化を果たした。
しかし現役の人々とともに、
ポストモダンの商業を追求し、
実現させねばならない。
このコンセプトワークは、
商人舎最高顧問の杉山昭次郎先生に、
ずいぶんと助けていただいた。
もちろんピーター・ドラッカー先生、
そして上田惇生先生には、
すべてを教授いただいた。
さらに、
商業の現代化を果たすために、
「知識商人」を養成する。
この方法論の方向性は、
翌2008年に㈱商人舎を設立し、
設立の会を開催するまでに、
徐々に固まっていった。
63歳の誕生日を迎えた今日。
この点において、
まったくの迷いはない。
第二の誕生日から8年。
決意はさらに強まるばかりだ。
朝に希望、
昼に努力、
夕に努力、
夜にも努力、
深夜に、
静かに感謝。
これを続けていきたい。
多くの方々からの、
誕生日の祝いの言葉の数々。
心から感謝し、
合掌して、お礼としたい。
〈結城義晴〉