今日発売の月刊『食品商業』に寄稿した。
600号記念の特集だから、
特別に執筆、1万字。
月刊『食品商業』の創刊は1972年8月15日。
初代編集長は今西武さん。
私は1989年2月号から三代目の編集長。
2000年10月まで務めて、
176号を編集した。
2007年に代表取締役社長を辞するまで、
パブリッシャーズ・ボイスなどを書いていたから、
8年ぶりに「帰ってきた結城義晴」。
タイトルは、
日本スーパーマーケットの
「すでに起こった未来」
竹下浩一郎編集長が、
自身で編集してくれて、
いい誌面になった。
ただし、「スーパーマーケット」を、
「SM」と表記するのは、
勘弁してもらいたいものだ。
なんというかニュアンスの問題だが、
記号は記号で、正式名称にしてはならない。
だから私はCVSも大嫌い。
同様にGMSも好きではない。
さて、軽減税率。
私は断固、反対を表明しているけれど、
政府・与党は対象範囲の協議に入って、
アウトラインを決めた。
対象は、
「酒類・外食を除く生鮮食品と加工食品」
だから 外食の店内で食べる場合は、
標準税率の10%。
出前や持ち帰り商品は、
軽減税率の8%。
その「外食」の定義。
「食品衛生法上の飲食店や喫茶店などの事業者が
飲食設備のある場所で行う食事の提供」
だから食べる場所が店外であれば、
基本的に軽減税率の対象となる。
つまり、
内食・中食は軽減税率、
外食は標準税率。
コンビニエンスストアの弁当は、
原則として軽減税率。
イートインコーナーで食べることを前提に、
店内で配膳する調理品は標準税率。
まだまだ微妙。
テイクアウト用に購買したハンバーガーを、
インストアで食べてしまうような場合。
しかし行政指導が入る余地が残れば、
これまた混乱する。
業界内の足並みが揃っていない。
それが強い反対勢力とならない。
税制はシンプルが一番。
それは長い人間の歴史が示している。
さてさて、日経新聞の『私の履歴書』
J・フロントリテイリングの奥田務さん。
佳境に入ってきた。
今日の第14回目のタイトルは、
「二人の田中さん」
「社会人に成り立ての自分には、
『二人の田中さん』とのご縁が
後々の企業人としての基礎を作り上げてくれた」
一人は心斎橋店長の田中正佐さん。
八重洲の東京店の初代店長、
「三越の屋上にぺんぺん草をはやしてみせる」と、
三越日本橋店に並々ならぬ闘争心を持ち、
バーゲンセールでオープンを大成功させた。
1965年(昭和40年)ころに
「デパートの神様」と呼ばれた。
伊勢丹・東急百貨店の山本宗二さんと、
大丸の田中正佐さんは、
「東西の顔」として名を轟かせていた。
その田中さんの持論は、
「百貨店の経営は店長で決まる」
徹底的な現場主義。
「本社は理論と屁理屈ばかり言いよって
現場のことを全くわかっていない」
もう一人の田中さんは、
大丸きっての理論家・田中誠二さん。
当時の常務取締役。
「これからは、
マーチャンダイジングの時代になるから、
マニュアルが必要になる」
奥田さんは71年2月、
京都店営業統括部商品監理部次長に就任。
そして業務本部が主催する、
マーチャンダイジング研究会の事務局となって、
マニュアルづくりに勤しむ。
米国小売業界の「バイヤーズ・マニュアル」を、
活用した。
おもしろい。
「店長で決まる」の田中さん、
「マニュアルが大事」の田中さん。
昨今の「脱チェーンストア」論議に、
なんと似ていることだろう。
「個店経営」と「標準化」
大丸は、奥田さんは、
この問題にどうケリをつけたのだろう。
ただし二人の田中さんは、
どちらも現場主義である。
それが知識商人に共通していることで、
このあたりに奥田務の「解」があると思う。
今後の展開に期待しよう。
〈結城義晴〉