ただ今、インフルエンザ大流行。
1月31日までの1週間で約107万人、
その前の24日までが約52万人だった。
倍増した。
年齢別に見ると、
最多は5~9歳で、約27万人。
全国3396の学校・幼稚園・保育園で、
休校や学年・学級閉鎖が相次いでいる。
全47都道府県で患者数は増え続け、
特に新潟県、埼玉県、神奈川県と、
福岡県、沖縄県では警報レベルを超えた。
商売とは因果な生業(なりわい)だと、
つくづく思わされる。
こんなインフルエンザ流行のときにも、
すぐさま対応して、
それによって顧客から喜ばれるけれど、
それによって売上げが上がり、
利益も増える。
それがインフラ産業というもの。
因果な生業だけれど、
それだけ社会性を有しているということ。
新聞やテレビ・雑誌などの、
社会メディアに対して、
さらに地域の情報に対して、
いつもいつも敏感でいたいものだ。
もちろん、このブログは、
そんな情報に対しては、
常に変わらぬ一定の見解を、
示していきたいと考えている。
ただし、マーケティングのトレンドに見せかけたものなどは、
そんな商売に必須の情報とは、
ずれていることも多い。
かつて「少衆・分衆」論が、
華やかに展開されたとき、
故渥美俊一先生はそれらを一蹴して、
「大衆」の重要性を説いた。
「少衆論」は、広告代理店の電通から発信された。
電通PR局長の藤岡和賀夫が『さよなら、大衆』で主張。
一方の、「分衆論」は博報堂生活総合研究所が、
『「分衆」の誕生』で展開した。
つまり電博が競って、
「脱大衆論」を展開したわけだが、
渥美先生は、チェーンストアや小売産業の商売を、
操作的なマーケティングとは異なると主張。
この操作的マーケティングは、
法政大学教授の矢作敏行さんも指摘していて、
私も同感。
マーケティングのごときことを、
声高に主張する場合、
その内容を見極めねば、
実は「因果な商売」とは、
全くずれていることが多い。
高級化、高額化のトレンドが示された場合、
特にそれに気をつけねばいけない。
高級・高額品が売れている数量と、
コモディティや低価格品が売れる数量とは、
桁違いだからだ。
さて、「フォアグラは動物虐待か」
日経オンラインの米国特派員報告。
「文化」か「野蛮」か。
フォアグラをめぐる論争が、
アメリカで続けられている。
カリフォルニア州では2012年に販売が禁止された。
しかし15年には連邦法に抵触するとして、
それが撤廃された。
しかししかし、今度は、
フォアグラ・メニューを復活させた料理人を、
動物愛護家がインターネットで激しく非難。
日本の捕鯨・イルカ漁非難と同じ。
「カタカタカタカタ。
機械の音が静かな薄暗い畜舎の中に鳴り響く。
柵で10羽ずつに分けられたアヒルを
1羽ずつヒスパニックの女性が
両足で挟み込んで首をつかむ。
漏斗型の器具についた
20cmはあろうかという細長い金属の管が
アヒルののどに無造作に挿し込まれる。
女性は無表情に
器で飼料のトウモロコシをすくい、
漏斗の上部に次々に放り込む。
振動でアヒルの胃袋の中へ
飼料が効率よく落とし込まれていく。
女性は10秒ほどで手際よく
次の個体に移っていく」
米国のハドソンバレー・フォアグラ社。
その畜舎内の光景。
1982年、米国には低品質の缶詰しかなかった。
そこに同社がフォアグラ生産を持ち込んだ。
以降、高級レストランの料理人たちから、
高い評価を受けている。
「フォアグラ」はフランス語で、
「太らせた肝臓」の意味。「強制肥育」によって、
アヒルの肝臓を通常の10倍にまで肥大させる。
マーカス・ヘンリー副社長。
「人間と同一視してみると一見、残酷に見える。
だが、自然界でアヒルは
ザリガニさえまるごとのみ込む。
のどの痛覚はほとんどない。
科学的に虐待と言えるデータはない」
日本の和牛と同じ考え方だ。
特派員の感想。
「動物愛護家から『虐待』と
激しく批判される強制肥育を見た後でも、
少なくとも他の畜産動物一般に比べ、
フォアグラ農場のアヒルが
特別に不幸であるという印象は受けなかった」
カリフォルニア州での禁止撤廃後も、
「販売は順調に増えている」
しかし生産手法に対する社会的な批判は、
まったく衰えない。
アメリカでは、2006年に、
カゴ市でフォアグラ販売が禁止された。
2年後、撤廃。
カリフォルニア州でも同じだった。
イギリス、イタリア、スイス、
それからイスラエルなどでも生産は禁止され、
輸入販売も禁止という動きが絶えない。
「フォアグラは飼育効率を追求し、
工業製品のように管理されて生産される食品」
だから「生態系との関連を重視する
消費文化のトレンドに逆行している」
しかしアメリカの牛肉産業は、
1990年段階でもうすでに工業化は進んでいた。
ヘンリー・フォード1世はそこから学習して、
オートメーション方式を生み出したほどだ。
「フォアグラのような高額の嗜好品は
世相の影響を避けられない」
低額のコモディティ商品には、
どうやらそれが許されているようだ。
「それ自体が『残酷』かどうかの議論とは全く別に、
米国のフォアグラ生産は長い目でみれば
文化として滅び行く運命にあるようにもみえる」
この報告に結論はない。
最後はやや感傷的に書いて、
締めくくる。
しかし、美味いものは食べたい。
美味いものは商売になる。
そして古今東西、美味いものは、
たいてい野蛮だ。
フォアグラとトリュフのリゾット。
東京・広尾のフランスレストラン「ア・ニュ」。
商売とは因果な生業で、
フォアグラに限らず、
「文化と野蛮」の間を、
行ったり来たりしている。
〈結城義晴〉