猫の目は、
斜め後ろも見える。
距離感を正確につかむ。
暗いなかでも見える。
そんな目で見る博物誌――。
「博物誌」といえば、
ローマ帝国時代のプリニウスの『博物誌』。
プリニウスは、
ストア派のいわば禁欲主義者。
自然法則にしたがって、
徳の高い生き方を目指した。
プリニウスは、
夜明け前から仕事をはじめて、
勉強している時間以外は
すべて無駄な時間と考えた。
読書をやめるのは
風呂につかっている時だけだった。
紀元79年、ヴェスヴィオ山が大噴火。
ポンペイの町が壊滅した。
プリニウスは、
ローマ西部艦隊の司令長官だったが、
ポンペイの友人らを救出し、
同時に火山現象を調査しようと、
ナポリ湾をわたって上陸。
そこで死亡した。
そのプリニウスの大作が、
37巻の『博物誌』
自然と芸術についての百科全書。
プリニウスとまではいかないが、
猫の目博物誌――。
春の川辺。
新緑の季節。
黄色いタンポポの花が、
一度閉じて、蕾になる。
それがふたたび開くと、
綿毛が現れる。
〈http://www.rightplants4me.co.ukより〉
右端は綿毛が開く直前の蕾。
そしてタンポポの綿毛が開いた。
タンポポは、
キク科タンポポ属(Taraxacum)の多年草。
生命力が強い。
英語では、dandelion。
プリニウスが使っていたラテン語では、
Taraxacum。
そう、学名はラテン語を使う。
春の花の代表だが、
猫はそれほど、
この花が好きではない。
むしろ、綿毛がいい。
もともとは、
「フヂナ」あるいは「タナ」と呼ばれた。
江戸時代には、
鼓草と言われた。
「つづみぐさ」
鼓をたたく音が、
「タン」と「ポポ」
この擬音語が語源で、
鼓草は「タンポポ」となった。
これは通説。
正しいかどうかわからない。
英語の「dandelion」は、
フランス語の「dent-de-lion」からきた。
lionはライオン、dentは歯。
つまりライオンの歯。
ギザギザした葉が、
ライオンの牙を連想させた。
現代フランス語では、
pissenlitという。
piss-en-lit。
ピサンリ。
tは発音しない。
pissはおしっこ、litはベッド。
「ベッドのおしっこ」
つまり「おねしょ」
タンポポには利尿作用があるから。
フランス人の観察は、
かわいい。
綿毛は英語でblowball。
「吹かれる球」か。
しかしこの綿毛は、
タンポポの果実である。
つまり種子。
綿毛の飛行距離。
なんと約10kmとか。
秒速0.5mの風でも、
それに吹かれて、
宙に浮いている。
風によって種子を飛散させ、
種の存続を図る。
綿毛は生命の源だ。
「タンポポと南風の物語」
南風は怠け者だ。
いつも寝そべって野原を眺めていた。
ある春の日、南風は、
野原のなかに、
黄色い髪の美しい少女を見つけて、
恋に落ちた。
実はその少女はタンポポだった。
それに気づかない南風は、
毎日夢中になって、
少女を見つめ続けた。
しかし、いつのまにか少女は
白髪の老婆になってしまう。
南風は、悲しみのあまり、
大きなため息をついた。
すると、ため息に飛ばされて、
白髪の老婆も 、
いなくなってしまった。
しかしタンポポの綿毛は、
白髪の老婆ではない。
未来をつくる生命の源だ。
タンポポは、
花を開かせるために
生まれてきたのではない。
宙に浮き上がって、
世界を見下ろす。
そして、生命の種を、
植えつける場所を探す。
そのために、
タンポポは生まれてきた。
それに猫は、
黄色い髪の少女に、
恋をしたりしない。
怠け者の南風よりも、
勉強家のプリニウスでいたい。
〈『猫の目博物誌』(未刊)より by yuuki〉