祝日「山の日」
趣旨は、
「山に親しむ機会を得て、
山の恩恵に感謝する」
毎日新聞巻頭コラム『余禄』
「何かの記念日ではない。
お盆休みのスケジュールの自由度を増し、
旅行先や帰省先で山野の自然を楽しむ
チャンスが増えればよしとすべきであろう」
この割り切りが、いい。
日経新聞『私見卓見』
山と渓谷社の久保田賢次さん。
ヤマケイ登山総合研究所所長。
「専門誌の一員として40年近く
登山業界を見守ってきた身として、
山に親しむ機会になることを期待しつつ、
山岳事故が右肩上がりで増えていることへ
懸念を伝えたい」
登山業界の専門誌40年の編集キャリア。
いいねえ。
久保田さんが指摘するのは、
遭難件数の急増。
2015年は約2500件。
日本の登山人口は700万~800万人。
この多くが60代後半~70代。
つまり、「団塊の世代」以上の高齢者。
私の友人たちにも、
若いころからの登山家は多い。
「日常生活でもつまずくなど
体力の衰えを感じる年齢である。
遭難だけでなく
持病で倒れる人も多いのが現状だ」
ここは、悪いけれど、笑った。
久保田さんは危機感を訴える。
「今は個人登山が主流である。
山は危険な場所だという認識を持たずに
『自己流』で登る人が増えている」
「山を学び、山を恐れ敬う気持ちを
持ちながら登ることも忘れないでほしい」
それでも毎日新聞『余録』は「山の日」を、
「盆休みのスケジュールの自由度」ととらえる。
この両方が日本の祝日「山の日」の本質だ。
自由度といえば、
「山の日」のリオ五輪。
完全に甲子園野球大会が霞んでしまった。
卓球の福原愛。
銅メダルは取れなかったが、
あの真剣な鋭い目つきは、
福原愛の本質を示した。
柔道女子70キロ級の田知本遥。
見事な抑え込みで金メダル。
男子73キロ級の大野将平も、
圧勝の連続で優勝して、
爽快な気分にさせてくれた。
そして体操の内村航平。
男子団体優勝に加えて、
個人総合優勝。
二つの金メダル。
銀メダルのオレグ・ベルニャエフ。
ウクライナの若き挑戦者は言った。
「僕は内村を尊敬している。
彼は体操の王様なんだ。
マイケル・フェルプスや
ウサイン・ボルトのようにね」
水の王者フェルプス、
陸の王者ボルト。
内村は彼らと同じ、
尊敬される「王様」である。
さて、日経新聞巻頭言『春秋』
古代ギリシャのアテネの政治家を取り上げた。
「黄金期を築いたペリクレスなきあと、
扇動政治家が相次いだ」
その一人のクレオン。
トゥキュディデス「戦史」(久保正彰訳)より。
「諸君はつねづね、
話を目で眺め、
事実を耳で聞く
という悪癖をつちかってきた」
コラムニストが言い換える。
口達者な者の話には、
その通りと思って目を奪われ、
事実を自分で見ずに耳から信じる。
そんな市民の扇動は難しくない。
クレオン。
「奇矯な論理で
たぶらかされやすいことにかけては、
諸君はまったく得がたいかもだ」
米国共和党大統領候補ドナルド・トランプも、
大衆は「話を目で眺め、事実を耳で聞く」者と、
考えている節がある。
コラムは指摘する。
「経済政策の演説で
『多くの労働者の税率をゼロにする』と強調」
「有権者は話をうのみにするだろうと
思っているなら失礼千万だ」
「ウソに惑わされる危険はどの国にもある」
どの国、どの産業、どの業界にも、
「話を目で眺め、事実を耳で聞く」者はいる。
それだけ、ビジュアルな扇動は恐ろしい。
ポピュリストは
「話を眼で眺めさせる」
「奇矯な論理でたぶらかす」
ただし、内村やフェルプス、ボルトの、
そして福原愛や田知本遥らの、
無言の競技や演技は、
それを超えた本物である。
「有権者自身、
事実をつかむ力を
問われてもいよう」
すべての国、すべての産業の人々が、
「事実をつかむ力」を問われている。
〈結城義晴〉