天地創造の物語。
第1日目に神は、
光と闇とを区別した。
光を昼と名づけ、
闇を夜と名づけた。
第2日目に神は、
大きな空を造り、
空の下にある水と、
空の上にある水とを区別した。
そしてこの大空を天と名づけた。
第3日目に神は、
天の下の水を一所に集め、
乾いた所を現われさせた。
水の集まった所を海と名づけ、
乾いた所を地と名づけた。
そして地には植物、
種の生じる草、
種のある実を結ぶ果樹、
木を芽生えさせた。
第4日目に神は、
昼に輝く太陽と、
夜にきらめく月と星を造った。
第5日目に神は、
海に生きる巨獣と、
水の中を泳ぐ魚と、
翼のある鳥を造った。
第6日目に神は、
地に生きる家畜や爬虫類、獣を造った。
そして神は自身のかたちに、
男と女を創造した。
人間にすべての生き物を支配させた。
そして第7日目に神は、
天と地とすべての万象が、
完成したことを祝して、
休んだ。
神は第7日目を祝福し、
この日を聖なる日とした。
それが日曜日だ。
だから、日曜くらいは、
ゆっくり漫歩。
今日は岡山県の旭川。
岡山市の中心部を貫く一級河川。
楕円を描いて、ゆるりと流れる。
旭川の右手に、
天守閣が見えてくる。
土手の向こうに、城郭。
右側から城壁。
そして天守閣。
岡山城、別名は烏城。
「うじょう」と読む。
カラスの城。
真っ黒だから。
築城したのは、
戦国大名だった宇喜多秀家。
豊臣秀吉が天下を取り、
その秀吉に厚遇されて大大名となった。
この城も秀吉の指導を受けてつくった。
8年の歳月をかけて、
慶長2年(1597年)に完成した。
ちょうど420年前のこと。
西向きの城構えのため、
旭川を改修して、
城の東の背後を流した。
これが天然の外堀となった。
天守閣の壁に付いているのは下見板。
この板が黒漆塗りで、
だから外観が黒い。
日本の城には白と黒がある。
黒がこの岡山城、熊本城、松本城、
広島城、島根城など。
白は姫路城、名古屋城、彦根城、
高知城などなど。
豊臣秀吉の時代に築かれたのが黒、
徳川家康の時代につくられたのが白。
1600年の関ケ原の戦いを分岐として、
それ以前が黒城、以後が白城。
高知城は1603年、彦根城は1606年、
姫路城が1609年、名古屋城は1611年。
岡山城が1597年、広島城は1591年、
松本城は1590年、熊本城は1588年。
秀吉の時代の城は、
岡山城のように外壁に、
防腐剤として黒漆板を使用。
家康の時代の城は、
外壁に石灰を使った漆喰を塗った。
漆喰は当時の最新技術で、
火に強いという特性を持っていた。
白い城と黒い城。
もうひとつの理由は、
白と黒の色の機能。
黒は敵から隠す効果があり、
白は大きく見せる効果がある。
白は膨張色、黒は収縮色。
秀吉以前の戦国時代は、
敵から見つかり難い黒で、
しかも小さく見えるけれど、
攻めにくい威力のある城が必要だった。
つまり実践の城。
関ヶ原以降の江戸時代になると、
戦さが減って、城は威厳の象徴となった。
大きく見えて美しい白い城に変った。
関ヶ原合戦で豊臣方についた宇喜多秀家。
八丈島に流配となった。
秀家に代わって、
小早川秀秋が城主となった。
西側の外堀の外側にさらに外堀を設けて、
城域を拡張し、その外に寺町を配置した。
岡山は大きな城下町となって発展した。
その後、長らく池田藩となって、
明治を迎える。
しかし昭和20年(1945年)の空襲で、
天守閣が焼失し、昭和41年(1966年)再建。
現在の姿になった。
そんなことを思いながら、
日曜漫歩を楽しむと、
後楽園に行きつく。
水戸の偕楽園、金沢の兼六園と並んで、
日本三名園。
池田藩第4代池田綱政が、
1687年から14年をかけて、
1700年に完成した。
総面積は13万3000㎡。
東京ドームの約3倍の広さ。
1689年には菜園場ができて、
水田や茶畑もある。
庭園は池泉回遊式。
つまり池の周りを回遊する庭園。
太鼓橋を渡ると池の中心には、
賓客をもてなす延養亭(えんようてい)。
そして後楽園から望む岡山城。
烏城は近くに寄って見るもよし、
遠く、後楽園から見るもよし。
満足の日曜漫歩だった。
〈結城義晴〉