ホーチミン市は、
かつてのサイゴン。
南ベトナムの首都だった。
1976年7月2日に、
南北ベトナムが統一されて、
ベトナム社会主義共和国が成立。
ハノイが首都となった。
その前は、ベトナム戦争。
ただしこの戦争には宣戦布告がない。
だからいつ戦争が始まったか、
諸説あって定かではない。
主役は、革命家ホー・チ・ミン。
ベトナム語でHồ Chí Minh。
建国の父と尊敬されている。
1890年5月19日に生まれ、
1969年9月2日に亡くなった。
ベトナム戦争は、
第二次世界大戦後、
資本主義と共産主義が対立し、
冷戦が展開されたときの代理戦争だった。
資本主義側はアメリカが主導して、
南ベトナム政府を支援した。
共産主義側はホー・チ・ミンが指導し、
ベトナム民主共和国をつくって、
それをソビエト連邦はじめ、
中国、北朝鮮がそれぞれに支援した。
ホー・チ・ミンは、南ベトナムを、
「アメリカの傀儡政権」と規定し、
共産主義イデオロギーによって、
南北ベトナムの統一独立国家を、
建国しようとした。
1960年に、
南ベトナム解放民族戦線が誕生して、
南ベトナムでゲリラ活動を繰り広げた。
アメリカはそれを「ベトコン」と呼んだ。
アメリカは第二次大戦後、
ドワイト・D・アイゼンハワー大統領、
ジョン・F・ケネディ大統領の時代に、
軍事顧問団を送って、
べトコンの一掃を図った。
そしてケネディ暗殺の後、
リンドン・ジョンソン大統領が、
大規模な正規軍を送って、
ベトナム戦争に積極的に介入していった。
ベトナム戦争は長引いた。
世界中で大規模な反戦運動が生まれた。
べトコンは粘りに粘った。
北ベトナムも辛抱に辛抱を重ねた。
「北爆」と称された絨毯爆撃など、
アメリカは絶対的な武力によって、
北ベトナムを襲撃した。
1966年7月17日、ホー・チ・ミンは、
ラジオ演説で「抗米救国檄文」を発表。
「独立と自由ほど尊いものはない」と語り、
ベトナム人民を鼓舞した。
1969年、そのホー・チ・ミンが、
突然の心臓発作によって逝去した。
しかしそれでも1973年、パリ協定。
チャード・ニクソン大統領は、
派遣したアメリカ兵を全面撤退させた。
世界で唯一、アメリカ合衆国を、
ゲリラ戦によって破ったのが、
ベトナム人である。
その後は、
北ベトナムとべトコン、
対する南ベトナム。
この戦闘の末、1975年4月30日、
サイゴン陥落によって、
ベトナム戦争は終わった。
1976年7月2日、
ベトナム社会主義共和国が成立。
ホー・チ・ミンの希求した、
ベトナム統一が実現。
1993年2月、ベトナムは、
フランスと和解し、
1995年7月28日には、
東南アジア諸国連合に加入。
そしてその直後の8月5日、
アメリカ合衆国と和解した。
その革命家の名がつけられた街に来て、
2日目の後半は、
ツアー最大のミッション。
ドラえもん豆腐ファクトリーの見学。
その一角の300坪に、
今年4月16日、
ドラえもん豆腐の工場が竣工。
社員の皆さんが出迎えてくれた。
ウェルカムフラッグの前で、
宮本洋一さん。
ブルーチップ㈱社長で、
ドラえもん豆腐の生みの親。
300坪ほどの工場の半分に、
豆腐の製造ラインがつくられている。
設備は日本の豆腐工場で使われていた機械を、
こちらに運んでラインをつくった。
だからローコスト。
1日の生産量は現在、1500丁。
まだまだ少ない。
しかし人気は絶大。
出店が間に合わないだけ。
フル稼働すれば、
1万5000丁までの製造が可能だ。
3代続いた豆腐屋出身で、
横浜妙蓮寺育ち。
そう、結城義晴の住居と同じ。
隣接する会議室で、
担当者の皆さんから、
さらに詳細な説明を受ける。
たくさんの質問も出た。
説明を受けながら、
ドラえもん豆腐を試食。
ベトナムで販売されている豆腐は、
ほとんどが過熱しないと食べられない。
ドラえもん豆腐は日本の豆腐と同じで、
生で食べられる。
ただし、ベトナム人にとっては、
生で食べるのは珍しいから、
新しい食べ方になる。
ドラえもんという、
ベトナム人が大好きなキャラクターと、
健康志向にマッチした豆腐。
この組み合わせが功を奏して、大人気。
今や、イオンモール内の、
テナントショップ展開だけでなく、
イオン、ビッグGの食品売場、
スーパーマーケット、
ミニストップやファミマなど、
コンビニでも取り扱われる。
さらに飲食店での食材として利用される。
つまりベトナム人に、
新しい日本食を提案しているのだ。
豆腐づくりの過程でできる豆乳は、
大豆の味がして実に美味。
製造ラインをバックに、
大槻工場長と宮本社長、
三人で写真。
ドラえもん豆腐ファクトリーショップでは
豆腐だけでなく、
どら焼きやアイスなどのスイーツも扱う。
もちろんキャラクターが使われている。
今、工場は3分の1ほどが空いている。
そこで、スイーツを製造するのが、
次の目標だ。
ホテルでは、18時から、
「ドラえもん豆腐」新工場竣工記念パーティ。
初めに10分ほど、
ドラえもん豆腐誕生までの、
ストーリーが、
大型スクリーンで紹介され、
ちょっと感動。
パーティは宮本社長のあいさつから。
発想の転換と粘り強い事業展開。
なによりベトナム人と、
ベトナムで生きる日本人に、
助けられ、励まされて、
ここまで来た。
私は一風堂のアメリカ進出と、
台湾加賀谷の例を上げながら、
日本の企業が海外直接投資をする際の、
重要なポイントを語って、
祝辞とした。
ベトナムのパートナー、
トラン・タン・ファットさん。
そして日本からは岸山惣憲さん。
(株)キシヤマノールディングス社長。
イオンベトナムの妹尾文郎さん。
ゼネラルマネジャー。
多くの関係者が祝辞を述べた。
早速、妹尾さんと交流。
イオンンベトナム1号店出店では、
ずいぶん苦労した。
民族衣装を着て、
民族楽器の演奏。
ドラえもんの歌は盛り上がった。
ホー・チ・ミンによって解放されたベトナム。
今、ドラえもん豆腐で、
ベトナム人を喜ばせる。
平和と独立と自由が、
何よりも大事なのだと、
私は思った。
〈結城義晴〉