平年や例年よりも早い今年の桜。
もしかしたら天の仕業。
早仕掛け、早仕舞い。
そして際の華やかさ。
一方、安倍内閣の支持率は、
各メディアの調査がうち揃って、
30%台前半で、過去最低。
安倍晋三夫妻の森友学園問題が、
近畿財務局の文書書き換え問題となって、
麻生太郎財務大臣に火の粉が飛んだ。
テレビで見る限りだが、
佐川宣寿前理財局長はもちろんのこと、
安倍晋三、麻生太郎、
残念ながら目が泳いでいる。
朝日新聞「天声人語」は西行の歌を引いた。
花を待つ心こそなほ昔なれ
春にはうとくなりにしものを
「桜を待つ気持ちは昔と変わらない。
それでも人の世の春に疎遠となるのは、
老いゆえである」
わきて見む
老(おい)木は花も
あはれなり
今いくたびか
春にあふべき
「とりわけよく見よう。
老いた木の花にも風情がある。
あと何度の春に巡り合えるだろうか」
桜は切り口から腐りやすい。
「桜切るバカ、梅切らぬバカ」
桜と梅の剪定法の違い。
桜は幹や枝を切ると
そこから腐りやすくなるので、
切らないほうがよい。
梅は枝を切らないと、
むだな枝がついてしまうので、
切ったほうがよい。
何が桜で、何が梅か。
何を切って、何を切らぬか。
それが問題だ。
天声人語はなぜか、
桜の老いに向かうが、
西行の「山家集――春の章」は、
全173首のうち103首が桜の歌だ。
春風の
花を散らすと
見る夢は
さめても胸の
さわぐなりけり
春風が花を散らしている夢は、
目覚めた後まで胸のときめきが続く。
桜にはそんな夢のようなときめきがある。
もっとも有名な歌。
願はくは
花のしたにて
春死なん
そのきさらぎの
望月の頃
「如月の望月のころ」は、
2月25日の満月の日。
現在の暦では3月末のころ。
大岡信さんが書いている。
「西行の熱愛した
桜の花盛りの時期に当たるが、
また釈迦入滅の日でもある。
出家の身として、
とりわけその日に死にたい
という願いをこめた歌だが、
驚いたことに、彼は願った通り、
河内の弘川寺で、
建久元年二月十六日に没した」
安倍晋三さんも、
麻生太郎さんも、
ちょっとだけでもいい、
老いや死について、
考えてみるといいのではないかな。
日経新聞「春秋」は、
円熟期の松尾芭蕉の句。
さまざまの事
おもひ出す桜かな
さて日経新聞の昨日の「読書欄」
岩井克人さんの「半歩遅れの読書術」
『ヴェニスの商人の資本論』
『会社はこれからどうなるのか』
『会社はだれのものか』
どれもいい。
「目には目を、歯には歯を」
ハンムラビ法典にある言葉。
紀元前18世紀の古代バビロニアの法律。
岩井さんはシェークスピアの悲劇を読む。
「ロミオとジュリエット」
「ロミオはモンタギュー家の一人息子、
ジュリエットはキャピュレット家の一人娘。
両家は中世イタリア・ヴェローナ市の名門。
血で血を洗う抗争を繰り返してきた仇敵」
キャピュレット家の仮面舞踏会の日、
ロミオは一悶着起こそうと
仲間と一緒に忍び込む。
そこでジュリエットと出会い、
恋に落ちる。
オリビア・ハッセーの映画はよかった。
「翌日2人は密かに結婚するが、
直後にロミオは喧嘩に巻き込まれ、
親友のマキューシオが
殺されたことに逆上し、
ジュリエットの従兄ティボルトを
斬り殺してしまう。
ロミオは追放令をうける」
両家の抗争は果てしなく続いていく。
「いくつかの行き違いの末、
ジュリエットはロミオが、
ロミオはジュリエットが
死んだと思い込み、
ともに自殺をしてしまう」
「その死に涙することによって
仇敵だった両家はようやく正気に返る」
実に的確に、簡潔に、
この物語を要約して、
岩井さんはハンムラビ法典の言葉を引く。
「目には目を、歯には歯を」の本当の意味。
「目を取られたら目のみ、
歯を取られたら歯のみ
取り返せ」
モンタギューとキャピュレットの抗争。
「いかにこの英知を実行に移すのが
困難であるかを象徴する。
一方が他方を侮辱すると、
他方が一方を傷つけ、
傷ついた一方が今度は他方を斬り殺す」
「目には目以上、歯には歯以上を
もとめる報復合戦はエスカレートし、
必ずや両者の破滅をもたらしてしまう」
「抗争の連鎖を断ち切る道はただ一つ。
両者が互いに
もっともかけがえのないものを
犠牲にしなければならない」
「知らずして、その可能性を
純粋かつ崇高な形で実現したのが、
ロミオとジュリエットの2人なのである」
最後に両家に和解が成立し、
「ロミオとジュリエット」の悲劇は終わる。
「だが、本を閉じ、現実に引き戻されると、
そこは果てしない抗争の世界が広がる」
キリスト教圏とイスラム教圏。
北朝鮮と韓国およびアメリカ合衆国。
ヨーロッパとロシア。
そのロシアと旧ソ連からの独立国。
日中関係、日韓関係。
様々な経済闘争。
「目には目を、歯には歯を」
「一見すると恐ろしい言葉。
私たちの悲劇は、私たち人類が
その英知にも達しえないことである」
だからこそ日本人は、
さまざまの事
おもひ出す桜かな
であるし、
花のしたにて春死なん
である。
〈結城義晴〉