「毎年、暑い夏になると、
同じようなことを思います。
特に、カレンダーが
8月になると思います。
亡くなった人たちのことや、
死ぬということについて」
糸井重里さんの「ほぼ日」
巻頭言は「今日のダーリン」
ほんとに文章、
うまいなあ。
いい文章を読んでいないと、
書くこと、話すことが、
蝕まれていく。
汚い文章は、眺めているだけで、
書くこと、話すことが、
どんどん下品になっていく。
「これには、
歴史が教えてくれることや、
伝統や風習が生きていることが
大きく関係しています」
「8月には、この世にいない
知らない人のことを祈ります。
もちろん、知っている人のことは、
よく思い出します」
私もそう思う。
8月は死と隣り合った、
不思議な季節です。
「高校野球の放送が
聞こえてきたりすると、
条件反射のように、
亡くなった人や死ぬことを思う」
明日の8月5日から始まるのが、
第100回全国高校野球選手権大会。
「眩い青春や情熱の象徴で
あるかのようなあの大会が、
熱い地面に落とす黒い影は、
死であるようにも思います」
「戦争と、お盆と、
高校野球と、夏休みは、
毎年、同じように
強い日差しのなかに
描かれています」
「明るく熱いものと、そうでないものが、
いっしょに感じられる季節というのは、
とてもいいことなのではないでしょうか」
「じぶんの年齢が増して、
上手になったことに、
“亡くなった人と話せる”があります」
糸井さんは、霊媒師のよう。
「話せるようになるんです、その、別に、
超常現象というようなことじゃなくね」
「この世のことばを話す人じゃないのに、
ちゃんと話し相手になってくれるのです」
「うれしいしたのしい時間です、
そして緊張感もあります」
「死んだ人は死んだあとも
静かに生きてますよ」
私たちの心の中に。
これは、私にもできる。
「ほんとはお墓や仏壇でなくても、
デスクでもソファでも、
話そうと願えば、
かならずやってきてくれます」
父も、母も、ジジも。
「報告をしたりね、
むだなことだとかも話したりね、
日記をつけることなんかにも
似てるかもしれない」
ブログを書くことも、
静かに生きている人たちと、
話し合うことです。
今夜は、7月31日に逝った母の通夜。
若いころの母の写真を見て、
母と話した。
夜濯ぎの母へ山吹流れつけよ
〈寺山修司〉
「夜濯ぎ」は「よすすぎ」と読む。
衣類をその夜のうちに
洗ってしまうこと。
(渡辺ゆき子評)
作者は夜濯ぎに出た母恋しく、
闇にも紛れず咲く山吹の辺に
佇(た)ちました。
その一花を摘もうとすれば
ほろほろと流れに散り浮ぶ花びら。
作者の投じた山吹も共に
夜の清流に乗りました。
作者の願望と愛情を托された山吹は、
作者と母との距離を沈むこともなく
流れてゆくことでしょう。
マルトの安島浩さん、
伊藤園の江島祥仁さん。
わざわざおいでくださって、
ありがとうございました。
2018年8月の商人舎標語。
そして[Message of August]
この指とまれ!
右も左も、この指とまれ。
前も後ろも、この指とまれ。
下から上から、この指とまれ。
そして、前向きに、
そして、上向きに、
そして、外向きに。
ポジティブに、
アクティブに、
ダイナミズムをつくれ。
小売りも、卸も、メーカーも、
顧客も消費者もNPOも、
政府も、役所も、県も市も。
売り手良し、
買い手良し、
世間良し。
あなた良し、
わたし良し、
天も良し。
いい国、つくろう。
いい街、つくろう。
いい店、つくろう。
だから右も左も、この指とまれ。
前も後ろも、この指とまれ。
下から上から、この指とまれ。
〈結城義晴〉
この暑い夏には、
亡くなった人たちとも、
「この指とまれ!」でつながりたい。
〈結城義晴〉