「新盆」(にいぼん)、
あるいは「初盆」(はつぼん)。
故人の四十九日の忌明けを過ぎてから
初めて迎えるお盆。
だから私の母の場合は、
新盆ではない。
それでも今日、
お線香をあげて、供養した。
お盆の横浜の空。
美しい。
まだ8月だというのに、
ずいぶん日が短くなった気がする。
みなとみらいの夜景もいい。
帆船日本丸。
モクモク・ワクワク・ヨコハマー・ヨーヨー。
手前側がランドマークタワー、
向こう側がクイーンズスクエア。
彫刻家の最上壽之氏の作品。
制約条件は「ビル風の抑制」だった。
地球を取り巻く大気の流れを意味する。
クイーンズスクエア。
巨大なヨーヨーの下に、
シェイクシャックがある。
ニューヨーク発のハンバーガーショップ。
やはり横浜はいい。
今日は朝から東京・小平。
第一屋製パン(株)の本社と工場。
月に一度の取締役会。
近くにファミリーマートがオープン。
「New Open!」
サークルKの店舗だったが、
ファミリーマートにリニューアル。
「お母さん食堂」
レジカウンターには、
「ファミ横商店街」
そこに顧客が並ぶ。
店舗入り口わきに、
イートインコーナーがある。
最近のトレンドだ。
故倉本長治商業界初代主幹は、
新店がオープンしていると、
必ず中に入って1品を購買し、
「初心を忘れないように」と、
心の中で励ました。
私もできるだけ、そうしている。
今日の朝日新聞「折々のことば」
第1197回。
大事なのは作業の半歩先。
(加世井眞次〈かせいしんじ〉)
魚屋「魚眞(うおしん)」の代表。
お笑い芸人・川田広樹が見習いに入った。
その芸人に教える。
「作業はまだ仕事でない、
さらに半歩踏み込んだところが
仕事になる」
「作業」と「仕事」。
よく言われるが、
やらされているうちは「作業」だ。
自ら意義を見つけてやるのが「仕事」だ。
そしてその「半歩」とは、
「美味しいものを食べさせたい
との一念で工夫を重ねること」
「客がどんなふうに歓ぶか、
それを想像しながらやる仕事は楽しい」
だから結果からみると、
「面白くないのは仕事じゃない」
その通り。
私はもう40年、
雑誌づくりを「仕事」にしてきた。
今では「仕事の一つ」になっているけれど。
糸井重里の「ほぼ日」
その巻頭言は「今日のダーリン」
京都のコンビニに行って、
何年も買ってなかった『週刊文春』を、
かごに入れてきた。
週刊文春の評価をする。
「週刊誌というのは
ポテトチップスのようなもので、
これが習慣になると、
それを必要とするようになる」
「なにが読みたかったわけでも
なかったはずなのに、
久しぶりにページを開いたら、
妙に感心してしまった」
「読みたいことばかりが
あるわけじゃないのだが、
とにかく一冊のなかに、
“人の手”がかかっているのだ」
「仕事」があるということ。
「これだけのページ数を、
文章と、写真と、絵と、広告で、
いっぱいにするだけでも、
たいへんな労力である」
「ひとつのテーマやアイディアで、
何ページもつくれる
グラフ雑誌ではないので、
正しかろうがまちがってようが、
ただの噂であっても
読みきれないほどの数の
ネタが必要なのだ」
私も昔の雑誌では、
「網羅主義」を徹底していた。
「食品商業」や「販売革新」は、
3本も4本も特集を組んで、
いま、大切なテーマを全部盛り込んだ。
糸井が評する「週刊文春」
「政治、経済、事件、娯楽、色気、
のぞき見、文化、趣味、
“尊敬されなくてもいいから、
興味を持たれる”というくらいの視点で、
山積みに盛られているのだ」
そして糸井は週刊誌を、
ネットの情報と比べる。
「ネット上でいくら
文字数を読んでいたとしても、
それが社会の似姿だとは、
どうしても思えない」
「ネットは、情報の成分に
偏りがありすぎるのだ」
然り。
それに比べると週刊文春。
「色眼鏡ごしとはいえ、
ここにはよくも悪くも、
“社会”があるように見えた」
「しばらくは”ネットの時代”だとか
おだてられていたが、
ネットというのは、もしかしたら、
ただの”小袋のポテトチップス”
なのかもしれない」
糸井さんも「ほぼ日」という、
ネットメディアをやっていて、
そのうえでこの言葉をつぶやく。
「小袋のポテトチップス」
最後のひとこと。
「週刊誌の欠点は、大盛り過ぎて、
読むのに時間を食うことか」
正しい。
これらに比べて月刊商人舎。
「大盛り過ぎること」はない。
特集1本主義。
だから読むのに時間はかからない。
けれどこれこそ大事だというテーマ。
つまりメインディッシュ一皿。
「小袋のポテトチップス」は、
商人舎流通スーパーニュースだ。
今週はお盆の休業中だが。
ということで、今月も、
月刊商人舎8月号、よろしくお願いします。
我ら、ポリティカル・マーチャンツ!
〈結城義晴〉