久しぶりに横浜に帰ってきたら、
買い物ついでに、
神奈川区大口の競争を見る。
MEGAドン・キホーテUNY大口店。
3層の1606坪。
今年2月23日にピアゴ大口店を改装。
ユニーとドンキのダブルネーム1号店。
ライフ大口店。
2層の747坪。
ドンキUNYと道路1本隔てて競合。
11月23日(金)、改装オープン。
ユニーのピアゴとライフの競合時代は、
それなりに棲み分けが進んでいた。
しかしMEGAドンキへの業態転換で、
ユニー&ドンキが急回復。
転換の6店舗平均だが、
売上高190%、客数160%、粗利益160%。
そこでライフも改装して対抗。
そのライフの改装以来、
MEGAドンキUNYは食品売上げが落ちた。
私の目で見て明らかだ。
さて今日は、ドンキが、
ずいぶん回復してきた。
地下1階の食品はまだまだ。
しかし1階は午後4時でも、
レジ待ちが出るほど。
ドンキUNYはチェッカー全員が、
サンタクロースの帽子をかぶっていた。
2階のセリアが顧客を集めているし、
非食品のゴンドラやラックの中に、
顧客が入っている。
ドンキはノンフードで集客し、
食品に呼び込もうとしている。
ライフは入口の惣菜と青果が、
改装オープン以来、価格攻勢。
年末年始までこれは続く。
対面売場の鮮魚と、もともと強い精肉、
そしてグロサリー全体で健闘。
2階のスギ薬局も着実に力を発揮。
エスカレーターすぐのところに、
処方せん受付を配置したのもとてもいい。
今のところ五分五分の闘い。
そして両者の特長が出ていて、
顧客は棲み分けされていくに違いない。
ドン・キホーテは、
賑わいをつくることに長けている。
それほど客数がいなくとも、
繁盛しているような雰囲気を持つ。
現場の一人ひとりの知恵も、
売場に生かされている。
私は両方で買物する。
横浜にいるときには、
ウォッチングすることになる。
どっちも頑張れ。
顧客は喜ぶ。
さて、今日の北海道新聞の記事。
「ヨーカドー釧路店来月閉店」
サブタイトルは「経済界、買い物客落胆」
イトーヨーカドー釧路店は、
来年1月20日に閉店する。
(北海道新聞電子版より)
オープンは1981年7月。
「北海道は日本のカリフォルニアだ」
故渥美俊一先生の声が思い出される。
ダイエー、西友、ジャスコ、ニチイなどが
次々に北の新マーケットに進出した。
イトーヨーカドーは、
その後、近隣や市内郊外で競合激化。
近年の売上げはピーク時の6割以下。
しかし、釧路市は2015年に、
イトーヨーカ堂と連携協定を締結した。
「地産地消や地場産品の販路拡大」のため、
協働する趣旨だった。
同店3階には、
子育て支援拠点センターが入居。
蝦名大也市長も残念がる。
同店の立地する新橋大通地区は、
釧路市が都市機能誘導区域に指定。
現在、バス路線の再編計画が策定中で、
乗り換え拠点の候補地となっている。
秋里喜久治釧路市産業振興部長。
「市にとって公的にも重要な拠点であり、
周辺一帯への影響がないよう
対策を考えたい」
MEGAドンキIYにするわけにもいかず、
イトーヨーカドーは閉店撤退する。
日経新聞電子版。
「アパレルに明暗」
――成算なき量産の果てに。
松本和佳さんが執筆。
日本経済新聞社編集局企業報道部次長。
「作るだけ売れる。
平成初頭、ファッション界は
わが世の春を謳歌した」
「高い服で外見を飾るのがステータス」――。
「そんな大衆意識が
作り手を大量生産に駆り立てた。
だが低成長時代に突入し
消費者の価値観は激変。
外見から内面へ。
適正価格の服を適量だけ――。
変化に気づかぬ業者は成算なき量産を続け
大量の在庫だけが残った」
平成の30年間に、
アパレル産業には大量の在庫が残った。
その在庫を安く仕入れて、
売場に並べたのが総合スーパーだった。
この記事はそんな現象の真因を探る。
「百貨店を委託取引先とする
アパレル会社の栄華と失墜。
デフレ下でのユニクロや
欧米ファストファッションなど
製造小売業(SPA)の台頭。
平成30年間のファッション産業は、
”装い”の意識変化をとらえた勢力と
”変われなかった”勢力の
主役交代劇として要約できる」
ダイエー、イトーヨーカ堂、
西友、ジャスコ、マイカルも、
アパレルに関しては、
「変われなかった勢力」となる。
「当時のアパレル市場は15兆円を超え、
今より5割大きい」
家計調査の”被服及び履物”の消費支出額。
「91年に世帯当たり30万2000円と
ピークを迎え、百貨店の衣料品売上高も
6.1兆円に達した」
「だがバブル崩壊で風景は変わる」
坂本記者はその状況を描写する。
「ファストファッションの路面店が席巻し、
ネット販売や中古衣料店も台頭。
一方、2000年のそごうの経営破綻で
百貨店の衰退が鮮明になった。
10年には中国資本がレナウンを買収、
16年にはイトキンが
投資ファンドの傘下に入り、
時代に取り残された各社が次々脱落した」
「アパレル不況というが、
実は平成30年間の国内消費数量は
わずかながら増えている。
だが商品供給点数は2.3倍に膨張。
売れ残りの多くは破棄されている」
柳井正さんは手厳しい。
ファーストリテイリング会長兼社長。
「アパレル各社は
商社や外部のメーカーに
商品企画を丸投げし、
創意工夫してこなかった」
「大手アパレルもSPAにならい、
コスト削減のため海外生産にシフトした。
だがバブル後に百貨店は
売れ残りを返品できる取引に改め、
納入価格の引き下げも求めた。
アパレル側は素材を見直し
商品原価率は20%を下回った」
「売値1万円、原価2000円。
そんな服は一目で見抜かれる」
平成のアパレルの枠内にある限り、
イトーヨーカ堂もユニーも、
そしてイオンも、
撤退、業態変換するしかない。
〈結城義晴〉