「冬至冬中冬はじめ」
寒さはこれからが本番だ。
北海道新聞巻頭コラム「卓上四季」。
「今日は二十四節気の冬至。
冬至は1年のうちで日照時間が一番短い。
つまり、最も太陽が衰える日だが、
同時に衰えた太陽が
復活に転じる喜びの日でもある」
「故に、中国では”一陽来復の日”と言った」
俳人の長谷川櫂さんの著「日本人の暦」
「夏の太陽の力は冬になると
植物の果実の中にしまわれる」
「冬至にゆず湯に入ったり
カボチャを食べたりするのは、
太陽の力をもらって
生命力を養うためだ」
いいなあ。
生活クラブ生協の柚子。
二つにカットすると、
ふわっと香りが漂う。
それを張ったばかりのお湯に入れる。
ここでもふわっと香りが漂う。
冬至風呂命ぬくめ来し幾春秋
(道部臥牛[みちべ がぎゅう])
京都新聞のコラム「凡語」
冬至は、
「太陽の力が最も弱まる日として古来、
“ん”が付くレンコンや南瓜といった
“冬至七種(ななくさ)”を食べて
息災を祈った」
南瓜は「なんきん」でカボチャ。
「語呂が運、鈍、根に通じ、
何事にも根気強く打ち込めば、
やがて運が向いてくると信じられてきた」
「運鈍根」は、
「成功するためには、
幸運と根気と、ねばり強さの
三つが必要であるというたとえ」
〈大辞林〉
成功しなくとも、
息災であればいい。
日経新聞電子版「経営者ブログ」
(株)IIJ会長の鈴木幸一さん。
なんといっても、
日本のインターネット産業の草分け。
タイトルは「春は冬至か」
「7時前になって、ようやく日が昇る。
この時期は、もっとも
夜明けが遅いのだが、
早起き生活をしない人は、
眠っているわけで、
朝の微妙な変化に無関心である」
「この時期ほど、季節の移ろいを
鮮烈に感じることはない」
同感。
「私は”慢性的時差ボケ”と揶揄されるのだが
夜明け前に目覚める生活を続けていると、
日の出の時間に敏感になる」
私も慢性時差ボケに近くて、
鈴木さんとは反対に、
夜明けまで起きていることも多いし、
逆に酒など飲んだらすぐ寝てしまって、
夜明け前に目覚めて仕事したりする。
「普通の生活をしている人でも、
“冬至”くらいは、
気に留めるかもしれないけれど、
“冬至”こそ、春の始まりだと、
“ゆず湯”につかって、
来し方、行く末まで考え込む人は少ない」
「冬至の夜だけは、酒席の後でも、
家に戻るとまず、湯船にゆずを浮かべて、
さしたることでもないのだが、
長い時間、”迷想”に耽る」
「厳しい寒さは、”これから”なのだが、
冬至を境に、夜明けが、一気に早まる。
私にとって、”冬至”こそ、
新しい年の始まりである」
「ここ10年ほどで、午前4時起床が、
午前3時になった。
1時間ほど、勤勉になったのだと、
訳のわからないことを呟いている」
「目覚めて珈琲を淹れ、
ぼんやりしていることに変わりはない。
その1時間も、朝の長湯が、
より長くなるだけのことである」
「それでも、世の中が
夜の沈黙にあるときに、
ベッドを抜け出し、防寒着を着込んで、
机に向かっている行為だけで、
いささかの努力はしようという気持ちを、
具体的な生活スタイルとして
維持していることで、
ちいさな自己満足を得ているのである」
このあと、今年読んだ本の紹介になる。
飯田芳弘著『忘却する戦後ヨーロッパ』
イワン・クラステフ著『アフター・ヨーロッパ』
鈴木さんはヨーロッパの歴史と、
今後の動静に注目している。
マルク・レヴィンソン著『例外時代』
「20世紀の第3四半期は、
経済発展の黄金時代だった。
この時代は、
あらゆる合理的な期待を上回っていた。
同じような時代が再び訪れることは、
まずないだろう」
(サミュエルソン)
「大戦から1970年代までの高度成長期の
経済の”例外時代”こそ、
社会保障国家を実現し、
人々に終わりなき”豊かさ”の追求を
時代精神にしたのである」
だから「奇跡の経済成長そのものを
“例外”と認識することから始めるべきだ」
それが「例外時代」である。
最後に『民主主義の死に方』
スティーブン・レビツキー/ダニエル・ジブラット共著。
この本は全米のベストセラー。
「多民族国家としては、初めて、
民主主義国家を維持したともいえる米国が
“その内側から死ぬ”ことを
いかに防ぐかについて、
熱を込めて書いている」
「選挙というプロセスを
挟んだ民主主義の崩壊は、
恐ろしいほど見えにくい」
鈴木さん。
「この指摘は、民主主義国家に
共通したものである」
つまり日本のことだ。
私もこの本、さっそく取り寄せた。
冬至の今日は、みなとみらいへ。
7月から始めた、自己改造計画のため。
計画の中身は秘密だが、65歳の7月に、
大胆なリエンジニアリングを企図した。
ランドマークタワー。
近づくと反り返って見える。
そして帆船日本丸。
「太平洋の白鳥」と呼ばれた重要文化財。
「海の表情 銀波」
河合紀の作品。
アメリカは現代を代表する民主主義国家。
そこでチェーンストアが発達し、
スーパーマーケットが躍進した。
その民主主義が死ぬとすれば、
チェーンストアやスーパーマーケットも、
いずれかの「死に方」の方向に、
向かっているのかもかもしれない。
「スーパーマーケットは永遠です」
こんな呑気なことを言ってはいられない。
Amazon GoやAmazon Freshも、
EATALYもル・ディストリクトも、
「民主主義の死に方」に、
関連しているのだろうし、
古典的チェーンストア理論からは、
画然とした差異を有している。
“一陽来復の日”の時差のぼけた頭で考えた。
〈結城義晴〉